現調に出発(現地事務所前で)

 2017年6月10日、2団体の現調があった。
 徳島は私のふるさと、徳島の友人や、以前働いていた職場の労働組合の仲間たち、住民の会、共闘の仲間たちが来て下さった。
 例年のように、前日9日22時にマイクロバスで徳島を出発、狭山に着いたのは10日、10時過ぎだった。まず両親の眠っている墓前に手をあわせ、昼食の後、13時、狭山現地事務所で、フェイスブックの呼びかけで、大阪、神奈川、埼玉、東京から来た人たちと合流。13時30分から現調。
 前日の天気予報では32度というニュースの通り、暑い日差しの照りつける中、2時間あまり歩かれた。

   

 15時30分ごろから富士見集会所で交流学習会。徳島からは毎年来て下さる方、10年ぶりと言う方、初めての参加の人も。徳島でずっと一緒に活動してきたKAORUさん「さっちゃんとは、どこでも一緒に行動してきた。サッチャンが狭山に来て20年、闘いはまだ続いている。あまりにも長すぎる。差別裁判、権力犯罪として闘い続けて来た狭山闘争には、何としても負けられない(潰したい)とする国家権力・司法権力の横暴がある。一雄さんに一日も早く、晴れやかで、安らいだ日を過ごしてもらいたい」との言葉に込み上げてくるものがあった。
 Mさん「今、毎日のようにテレビで加計学園のニュースが流れている。資料を出さない、無い、として隠したまま幕引きをはかろうと躍起になっていた多くの関係者が世論の力に押されて追加調査(再調査でなく)をする、と言わざるを得なくなった。狭山も世論の力で動かせる。検察が事件発生から54年経っても隠し続けている証拠を出させること、裁判所には事実調べをさせること、一人ひとりがこのような不正義は許せない、との声をあげて行こう。」 

 

 以前私が働いていた職場の労働組合から参加したTさん「私が職場、労働組合に入り3年目」という彼の言葉に今も、狭山を闘いの中心に位置づけ闘い続けて下さっている仲間に感謝。私の運動の指針ともいうべきSさん「労働組合運動の中で、また、退職してからは、住民の会で、これまで闘い続けてこられたのは仲間に恵まれたから」との一言に胸熱くなる。共闘のNさん、30年以上労働組合の役員をされていて、私も徳島でいるころはよくお会いしていたが、現調は初めてとお聞きした。「現調は大切、続けていくべきであり、狭山は冤罪と言い続けていきたい」と話された。

 足利事件の冤罪被害者菅家利和さんも、現調、交流学習会に参加、「次は狭山だ。私も全力で狭山を闘う」と連帯アピールを頂いた。
 フェイスブックの呼びかけで、大阪から来て下さったFさんとお連れ合いさん「金監督の作られた袴田さんの映画を観たら石川さんが出ていた。私は子どものころから石川さんを応援していた。狭山の映画も観て、昨年大阪で開かれた狭山の集会にも参加し、帰りの電車の中で石川さんたちとお逢いし、大阪駅まで一緒に帰った。フェイスブックで狭山現調を知った。今日狭山に来られて良かった」と話して下さったFさん、大阪からたくさんの「御座候」や肉まん、自宅で採れたナス等を持って来て下さった。頂いた時、ずしっとした重さだった。こんなに重いものを持って大阪から来て下さったんだと思い、Fさんの狭山への思いの重さ、深さを実感した。

   

 狭山の映画を2回観て、何時の頃からか仕事の始まる前に高裁前アピールに来て下さるYさん、今回も沢山の手作りケーキを持って来て下さった。たくさんのごちそうを頂きながらの交流学習会だった。高裁前アピールで体調のいい時には来て下さり、「狭山の署名をお願いします」とずっと声をかけ続けて下さっているYさんは富士見集会所の交流会からの参加だった。出かけるときはいつも狭山署名用紙を持って出かけるというYさん、また今年2月、埼玉県・加須で開かれた集会に来て下さり、それからフェイスブックにつながり、今回の現調参加となったというNさん。
狭山をさまざまに発信して下さる人たちがいて、それに呼応し行動して下さる方たちがいる。
 狭山の闘いには熱と光があり、人との出会いを頂き、良心や、不正義に対して憤る思いを共有し、自分自身を含めて、人間解放に向かって進んでいく闘いなのだとよく思う。
 夜の交流会は、狭山支部長の石川六造さん(一雄の兄)とお連れ合いのウメ子さんも一緒に、お姉さんの手作りの料理を囲んでの楽しい時間となった。
 翌11日、ホテルを8時に出発してバスで帰途についた皆さんから、夕方「無事に徳島に着きました」との電話に一安心。
 お疲れ様でした。ありがとうございました。