杖をついて最後まで歩いて下さいました

 2018年5月29日、長野の中高地区同和行政・教育連絡会からバスで現調に来て下さった。木島平村と、「狭山事件を考える山ノ内町住民の会」の皆さん方だ。
山ノ内町住民の会は2004年6月に結成された。結成総会の時、私たちは挨拶に伺った。とても遠かったことと、「こんなにたくさんの人が来て下さった事は近年にないこと」と主催者がとても喜んで下さり、温かく迎えて下さった皆さんの事は今もよく覚えている。
 蒸し暑い1日だった。12時半から3時過ぎまで、現調をされ、その後、お礼の挨拶や、支援のお願いをさせて頂いたが、杖をつかれた人や、足が痛い人もおられ、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。皆さん長く狭山支援を続けて下さっており、福江・下山鑑定等で「今回は必ず狭山は動く」との確信をもって来て下さったことがうれしかった。
 16時過ぎ、又バスで長野に帰られたが、皆さんの変わらぬ「狭山勝利まで闘いぬく」との思いがびんびん伝わってきた。最近体調が悪く、20日あまり、ウォーキングを休んでいた石川が、「今日からまた歩く」と歩き始めた。この日は28410歩。みなさんから元気を頂いたのだろう。

 17時過ぎ、荷物が届いた。和歌山のYさんからだった。5月12日~13日、和歌山で部落解放全国女性集会が開かれた。13日、会が終わり、小雨の中を歩いて和歌山駅まで歩いていた所、車で通りかかったYさんが駅まで乗せて下さった。礼状を出させて頂いたのだが、そのお返事と、「梅」を贈って下さった。

 
 味梅、ハネムーン、という名の梅

お手紙には、たまたま通りかかり、雨の中歩いている二人を見つけ、急いで引き返して下さったとのこと。「わたしが解放運動に関わったきっかけは、狭山事件でした。もう50年近く前の高校生の時です。何度も東京に行き、あの『10・31寺尾不当判決』の日も集会に参加していました。『狭山差別裁判糾弾』闘争はわたしの青春そのものでした。その石川さん(わたしの中ではまだ『石川青年』です)をまさか自分の車にお乗せするとは思ってもみませんでした。『狭山闘争』に微力ながらも関わってきた『ご褒美?』かなと思いました。いい出会い、いい思い出になりました。和歌山駅について、お別れするときに『これからもがんばってください』と言ったのですが、すぐ反省しました。頑張るのは自分達だ、石川さんは十分頑張ってこられたと。(一部抜粋)」

石川の55年の闘いに多くの人が支援し続けて下った
厳しい闘いの中に光も熱もある狭山闘争 ありがとうございました