猛暑の中の現調     

 
 猛暑の中狭山市駅からスタート

 2018年7月25日、朝から暑い。福岡県から学校の先生方が中心に現調に来てくだっさった。
9時半狭山市駅東口から出発されたが、その時から汗びっしょり。
懐かしい人たちと、また元気に狭山で出会えることがうれしい。

フィールドワークを終えて現地事務所に着いたのが12時前。熱中症で倒れないかと心配していたが、ほっとする。
13時30分から富士見集会所で交流会学習会。

 
 吾軀幹暗夜の獄に埋もれども心は常に荊冠旗の下
この歌は1970年、部落解放同盟が狭山差別裁判反対
を訴えて全国行進をした時に石川が獄中から
出した(詠んだ)歌だそうです

 石川は「今日も猛暑の中を遠くから現調に来て下さって申し訳ない。私が24歳にもなって如何なる事情があったとしても、『自白』してしまったことが、今も皆さんにこのようにご迷惑をおかけしている。取り調べられている時、いくら私が『犯人では無い、脅迫状は私は書けなかった』と言っても、取調官は『いいや、お前が脅迫状を書いたことは間違いのない事実なんだ。早く白状しろ』と朝から、深夜まで攻め続けられた。最後には兄が犯人と思わされ、また、『10年で出してやる、これは男と男の約束だ』との言葉に、結局権力に迎合してしまった自分の無学や、弱さがこの様な結果を招いた。刑務所の中で文字を取り戻し、多くの事を学んでいく中で、義務教育とは言わない、せめて小学校5~6年生位の学力があれば、このように騙されていなかったかもしれないと、一時は学校に行かせてもらえなかったことで両親をうらんだこともあった。冤罪は冤罪被害者を生むだけではなく、真犯人を取り逃がす、また、えん罪被害者の家族をも巻き込み苦しみが続く。被害者の家族も苦しみが続くだろう。冤罪が二度とあってはならない。私は犯行時刻とされていた時、両親や、家族と食事をしたり、テレビを見ていた。だから両親が一番無実を知っている、しかし、肉親の証言は取り上げられなかった。多くの人に狭山事件に関心を持ってもらい、裁判所に裁判を開くようにという行動を起こしてほしい。皆さんが石川さんは無実だ、無罪だと信じて下さっていても、法廷の場で『石川無罪』の宣告がない限り、私の冤罪は晴れない。今、弁護団から石川無実を明らかにする科学的な鑑定が出されている。この鑑定人尋問、事実調べをすることで、真実が明らかになる。大きな風を吹かせて頂きたい。裁判が開かれれば、私の無実が明らかになる。」と訴えた。いつも私が思う事だが、石川をウソの「自白」に追い込んだ取調官、警察権力、そして事件発生から55年経った今もなお、狭山事件の証拠を隠し続ける司法・国家権力こそ糾弾されなければならない。

 

参加された人から「子ども会で石川さんの事を勉強している。①本当のことを知るために一生懸命勉強する②仲間を作る③自分の言葉で自分の事を伝える等を中心にしている。子ども会に石川さんからメッセージをお願いしたい」 石川「私は刑務所の中で勉強をした。それから紙誌を通して世界中のことを知る事が出来た。手紙を書いた、お返事を頂いた、文字を知って、勇気や、前向きに生きる力をもらった。心が豊になった。勉強は生きる力になる。子ども会の皆さんには一生懸命勉強をしてほしい」と話した。

 
冀望(きぼう)の光は見えている」と詠む

 一人の出身教師から「自分の両親も字が書けなった。小さい時から石川兄ちゃん取り戻そうと勉強してきた。石川さんが一日も早く無実、無罪を勝ち取ることが僕の夢」と話された時、石川も私も胸が熱くなり、涙がこぼれそうになった。
 代表者から「14~5年前、子ども会で子どもたちと現調に来た。石川さんと会った。一緒に来た子どもが現調に来てから変わった。彼の姿を通して私も変わらせてもらった。解放新聞が届くと真っ先に石川さんの記事を見る。石川さんが全国各地で頑張られている姿が夢の中で出る。私たちも頑張る」と話された。
 狭山裁判も、新証拠の提出等で冀望(きぼう)の光が見えている。石川はその思いを詠んだ。


暑い暑い一日だったが、皆さんの狭山、石川への
温かいまなざしと闘いに
猛暑も吹き飛ばすほどの力を頂いた

現地事務所にぶどうがいっぱい生っている
8月には子ども会の現調があるが
その頃にはちょうど食べごろ?
楽しみだ