2019年9月15日 2組の現調(熊本・三重)

 今年も熊本から「狭山と人権を考える荒尾住民の会」の皆さんが現調に来てくださった。
Sさんは親子孫と3代にわたり、狭山の支援を続けて下さっている。闘いが長くなると、「3代の支援です」という方と出会う。複雑だ。こんなに長く支援を続けて下さっていることの感謝と、それでも裁判に勝てていないということの現実。最近、Sさんのお父さんは体調を崩されているそうだ。狭山の闘いも、下山鑑定や、福江意見書等、これ以上ないくらいの無実を明らかにする科学的な鑑定が裁判所に出されているので、もう少し時間がかかるかもしれないが、朗報が届けられる日は近いと確信している。皆さんからたくさんのカンパを頂いた。
事件発生から56年たった狭山事件に、今もこんなに多くの人が現調に来て下さったり、集会や、高裁、高検にはがきを出してくださったり、8月29日の高裁前アピール行動には120人を超える人たちが主体的に集まってくださった。ただ一点、「石川さんの無実を無罪に」との思いで、この10年、雨の日、雪の日、炎天下の日も、高裁前に立ち続けた石川と多くの仲間たち。中には病に倒れた方、亡くなられた方。その人たちの思いと共に今もあり、そしてまた高裁前で新たな出会いも頂いた。狭山は歴史に刻む闘いを続けてきた。ゴールはまだだが、ゴールは近い。そのように思える現調の皆さんとの交流だった。
一緒に現調をされたのは、三重県から来てくださったOさんご夫妻。Oさんとは、5月18日、津市で開かれた集会で出会った。Oさんはこれまで何度か集会に来て下さっていたそうだが、直接話をしたのは初めてだった。6月24日、沢山の署名が届いた。お手紙には「Oさんが、自分たちでできることとして、署名を集めよう」と声掛けされ実現したと書かれてあった。8月22日には直接Oさんから署名が届いた。礼状を出すと、お電話があり、「ずっと狭山現調に行きたい、と思っていた。現調に行きたい。」とのことで、9月15日、熊本の人と一緒の現調が実現した。お連れ合いさんと2人で来て下さった。「狭山を知ったのは今から25年以上前、全同教大会の時『狭山事件』の署名をしたのがきっかけです。私が12歳くらいの時狭山事件が起きたことをよく覚えています。間違いに気づいたら子どもでも『ごめんなさい』が言えるのに、司法は言えないんやな~。」「石川さんは苦難の人生だったけど、その中で文字を取り戻した。字を知らなくても冤罪に巻き込まれなかったほうが良かったのか、石川さんが話すように冤罪に巻き込まれたから文字を取り戻した人生がよかったのか、どちらが良かったかわからないが、私がそうだったように..石川さんの闘いが、多くの人に力を与えた。」と話された。お二人とはずっと以前から知り会っていたように思える。これが狭山の戦いなのだと実感する。