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師走とは思えない温かい一日、長野県須坂市協議会からバスで現調に来てくださった。
4~5年前にも来てくださっているが、今回もAさんが作っているリンゴをいっぱい持ってきてくださった。「私ら80歳の夫婦で作っています。子どもや孫が喜んでくれています」と丹精込めて作ったリンゴだ。そういえば前回来られた時もリンゴを頂いた。
「45年前の寺尾判決の時(1974年10月31日、東京高裁、寺尾裁判長の無期懲役判決が出された)も大勢がバスで集会に来た。全員黄色いハンカチをもって、石川さんが出てきたら渡そうと思っていた。まさかの有罪判決に帰りのバスの中は言葉もなかった。」「あの頃は高速道路がなかったので、長野を夜中に出て、何時間もかけて会場に着いた。今は高速道路で3時間くらいで狭山に着くが、昔は狭山も、東京も遠いところだった」「あの頃、道路は砂利道でガタガタ音がした」「私らの所は、昔からほとんどの所が畑を持っていたので、石川さん宅のように、食べ物には不自由しなかったなぁ」
今回、現調に来てくださった方は長く狭山を闘い、石川を支え続けて下さった方が多く、ご高齢の方が多かった。だからこそ、40年、50年前の狭山闘争の事、最近の闘い等、生き生きと、次から次へと話が止まらない。
「石川さんに私が作ったリンゴを食べてもらいたくて来ました」と話してくださったAさん。
関東女性集会で、いつも狭山分科会に来て下さる信子さんから今回も素敵な手作りの手さげと信州新ソバを頂いた。皆さん温かい。「前来た時は現地事務所にミカンがいっぱい生っていて頂いたんですよ。今年はダメなんですね」と話された方も。そう、今年はミカンがあまり生らなかった。ミカンでなく今年は甘夏をおみやげに・・・・・
「来年が勝負と聞いています。私たちも長野からずっと応援しています」と帰られた皆さん。
石川も「来年こそは」との思いを上記歌にした。皆さんの闘いに心からの感謝と、まじかに迫った三者協議の進展をと願う。