2023年6月3日、徳島から現調。徳島は、私の故郷。
一雄と結婚した翌年の1997年に「狭山事件を考える徳島の会」が結成され、それ以降、コロナ禍の3年を除き、毎年狭山現調に来てくれている。
いつの頃からか現調は「部落解放徳島地方共闘会議」、「部落解放徳島青年共闘会議」、「狭山事件を考える徳島の会」、「特定非営利活動法人みずすまし」の4者の共催で行われるようになった。

   

 今回の行程は、6月2日、22時に徳島を出発(車中泊)し、3日、9時頃東松山の丸木美術館、13時に集会所で事前学習、14時から現調、18時ホテル着、翌4日、徳島に帰るという予定だった。

 
 1997年「住民の会」発足当時から現調に参加されている同志たち


しかし、2~3日前から、台風接近と共に、各地で線状降水帯のニュース。現調の日が近付くにつれ、徳島から車で来るコースに沿って、台風も、線状降水帯も同じように北上してきた。

 2日、22時、予定通り徳島を出発したが、高速道路は通行止め、高速を降りてもノロノロ運転が続いたそうで、丸木美術館にもよれず、狭山に着いたのは3日の16時過ぎ。実に徳島から18時間以上をかけて狭山にやってきた皆さん。

自力自闘の闘いの現調。毎年、マイクロバスを借り、参加者が交代しながら運転をしてくるので、本当に心配した。
 途中何度も連絡を取り合いながら、無事を確かめホッとしたり、心配したり。

予定では13時から集会所での事前学習会が、16時半からになった。遅い時間になり、皆さんも疲れていることから、現調は中止し、現地事務所の「カモイ」前だけでの説明に終わった。本部から現調の案内に来ていたYさんも心配しながら14時頃から、皆さんの到着を待っていてくださった。

 夕方の交流会には義姉うめ子さん(狭山支部長・石川六造の妻 一雄の兄)も参加し、赤飯のおにぎりや、たくさんの料理を作ってきてくれた。おいしい料理で、皆さんも疲れが少しは癒されたのではないかと思う。

 一雄は参加出来なかったが、私は久しぶりに、故郷の友人たちと多いに喋り、多いに笑った。たのしかったなぁ~

 
 愛犬ココちゃんとMさん


 4日は、皆さんまた1日かけてゆっくり徳島に帰る。


徳島で、共に狭山や、部落解放運動、労働組合運動を闘った仲間も皆高齢になった。最近は「今年が最後かも」とふと思ったりもする。

4日、8時出発なので、皆さんと一緒に写した写真を作ってホテルまで持って見送りに行った。「また元気に来年も会おうね」と言ってくれた仲間たち。ありがとう
気を付けて帰ってください。

 徳島新聞で、シリーズで狭山を取り上げて下さったり、5月23日の狭山集会にも、徳島から取材に来て下さった記者のKさん、Kさん、Sさんが書かれた記事を、記事が掲載された当日、Sさん、Nさんたちが送って下さっていた。

5月24 日掲載の狭山集会(5月23日)の記事だけが届かなかったのだが、3日、Mさんが持ってきてくれた。遅くなったがその記事も報告したい。

動くぞ 狭山! 動かせ狭山!