2023年7月29日、熊本から「解放子ども会」の皆さんの現調。
朝6時に熊本を出発したそうだ。13時から狭山市駅を出発、15時半ごろから集会所で学習交流会をした。
この日も37度から38度近くあっただろうか。

   

それでも学習会では元気な子ども会の皆さん全員から様々な質問を頂いた。昨年私が「皆さんは石川一雄にならないように、でも石川一雄の闘いに学んでほしい」と話したが、「もっと詳しく話してほしい」と質問があり、「『学校に行けなくて、文字を知らなくて冤罪に巻き込まれた。苦しい年月を刑務所で過ごしたが、刑務所で血のにじむような努力で勉強をし、文字を取り戻した。その文字を力にして、多くの人に手紙を書き、無実と支援を訴えた。文字を取り戻して多くの事を学んだ。自分の置かれている立場を知った。多くの本を読み、手紙を頂いた。刑務所の中にいて、詩誌を通して多くの事を知った。心が豊かになった』と言えるようになった石川一雄の闘いに学んでほしい。皆さんは一生懸命勉強をして、正しい判断のできる人、心優しい、心豊かな人になって欲しい』と皆さんにお話したかったのです」と話しました。また、昨年狭山に来る予定だった子ども会の1人が、体調を崩し来られなくなっていたのですが「1年間、待ちに待っていた。今回は来ることができてうれしい」と話してくだった事もうれしかったです。また「私は今39歳です。いまから30年近く前、私が小学校6年、12歳の頃、狭山に来ました。30年たっているにも関わらず、石川さんは仮釈放のまま。今、石川さんの話を聞きながら、元気でいてくれた事のうれしさと、まだ見えない手錠に繋がれているという悔しさで一杯です。来年こそ、再審が開始され、石川無実を聞きたいと思いながら現調をしていました」とポロポロ涙をこぼして話してくれた。彼の闘いと、優しさ、思いに、私も涙がこぼれた。
午後5時近くまで続いた交流会。一雄はいっぱいの元気を頂いた。みんなありがとう (^^♪

 徳島から「第37回部落解放活動者会育成会議」の皆さんが、29日~30日現調に来られた。
主催は「自治労徳島県本部部落解放闘争実行委員会」。懐かしい名前だ。実行委員会ができた最初の年に、私たちの単組も実行委員会のメンバーになった。あれから45年くらいたったのだろうか。私の運動の原点ともいえる。徳島県内各地から参加してくれた。私が所属していた単組からも2人が参加してくれた。部落解放運動に出会ったころ、まだ学生だったHさんが私たちの所にオルグに来てくれたけれど、その子どもさんMIKIちゃんも来てくれていた。
うれしくなつかしい皆さんとの再会だった。29日は集会所で学習交流会。30日は現調。2日間とも酷暑。
案内、学習会の講師をしてくださったYさん、2日とも顔を真っ赤にされ、汗が滴り落ちていた。
60年目の狭山。さまざまに闘いは続き、多くの人に支えられている狭山闘争。
 30日、12時現調を終えられた皆さんは徳島へ。


私は暑さにばててしまって、午後から何も出来ず・・・・・
遠くから来てくださった皆さんに申し訳なく思う。
皆さんありがとうございました。

 7月29日 夜、パンパンという音に窓を開けた。花火だった。今日、狭山市は七夕祭りで花火が打ち上げられていた。25年以上前、母と一雄の三人で花火を観に行ったことを思い出した。

 7月26日、埼玉の住民の会・古河さんからお手紙と署名101筆が届いた。

 7月25日 山梨の佐藤さんからお手紙と署名36筆が届いた。
山梨のメグさんが多くの人にお手紙を出してくださっている。体調を崩されながら、温かい心と変わらない信念を持ち、闘いを続けられているメグさん。

 狭山は多くの人の熱い闘いの中にある。花開く時を待っている。