無罪を勝ち取っても風化させないように現調を続けたい!

 2024年10月15日、熊本県から「解放子ども会」の皆さんが今年も狭山に来てくださった。
一雄は、子ども会の皆さんの現調はことのほかうれしい。
8時過ぎ、信子さんからメールがあった。「おはようございます。今朝6時に現調の出発式を行い、みんなを送り出しました。お世話になりますが、よろしくお願いいたします。」支部でいつも子ども会の皆さんを見守り続けている信子さんからの温かいメール。
早朝に出発し、午後1時、狭山市駅から現調に。午後2時半過ぎに現地事務所に到着されたが、一雄は現地事務所で、みんなを11時半ごろから待っていた。毎年現調に来て下さる子ども会の皆さんにお会いするのが楽しみだったんだろうなぁ。記念写真を撮って集会所で交流会。一雄は「獄中で正義感ある看守さんが私の無実を信じて、『無実を訴えるには、文字を覚えて、皆さんに手紙で訴えることだ』と字をほとんど知らなかった私に文字を教えてくれた」「皆さんには一生懸命勉強をしてほしい」と教育の大切さを話し、「60年の間にどれほど涙を流したかしれない。」「裁判官には『自白』させられたコースを歩いてもらいたい。如何に矛盾しているか、自分の目で足で確かめてもらいたい。私の希望だ。」「この3次で勝利できない限り、私が生きての勝利はない。不撓不屈の精神で闘う。あと2カ月で86歳。冤罪が晴れるまで、元気で闘っていく。100歳まで生きたいが、人の命、いつまで生きられるか、わからない。神のみぞ知る。3次で勝利できるよう、友達や、家族の皆さんに、現調をしてどんなところが矛盾していたかなど伝えてほしい。」と訴えた。皆さんから「現調に来る前、石川さんが作った短歌を勉強してきた。短歌を作るようになったきっかけは?」「100歳まで生きたいと思う理由は?」等の質問に、丁寧に答えていた。5時近くまで交流会。皆さんにいっぱいの元気をいただいた。ありがとうございました。
 その後、現地事務所に帰り、10・31のビデオメッセージを撮る。


 10月13日、「東京清掃労働組合 清掃・人権交流会」の皆さんの現調
皆さんの現調は今年で28回目。28年続いている。私が狭山に来て27年。皆さんの闘いに心から感謝。2つのグループに分かれて,現調の後、集会所で交流した。

 

石川は「今年は死刑判決60年。寺尾判決から50年。仮出獄から30年の節目の年。獄中32年間には、『死にたい』と思ったこともある。しかし、死んでしまったらおしまい。歯を食いしばって生きてきた。無実の人が冤罪で苦しんでいることを多くの人に知ってもらいたい。無罪を勝ち取るために皆さんのご協力を」と訴えた。
多田中央執行委員長から「石川さんの無罪を勝ち取っても、このようなことが二度を起こらないように、起こさせないために、現地調査を続ける」と話されたことに、胸震えた。たしか何年か前に、清掃・人権交流会・会長の押田さんも話してくださった。
いつもピクルスや、手作り味噌を狭山まで持ってきてくださるGさんから署名17筆を頂いた。
毎年頂く皆さんからの寄せ書きは宝物として現地事務所に貼ってある。
皆さんとの出会い再会は喜びだ。


 10月12日、「部落解放共闘横浜市協議会」からの現調
 毎年現調に来てくださる皆さん。みんな温かい。

   
獄中で文字を教えてくれた元看守さんが「この歌が一番いい」 と言ったので
私が一番好きな歌です。と「弁護士も画竜点睛逼迫に司法の閑却儒々を許さず」の短歌を紹介

実はこの日「富士見1丁目自治会」の公園の草取り実施日だった。
朝7時から8時までの1時間。鎌、軍手、タオル等を持ち参加。30人以上集まっていたように思う。見違えるようにきれいになった公園に満足。
11時からの交流学習会に少し疲れて集会所に行ったが、皆さんにお会いして元気になった。
午後4時、車の調子が悪いため予約していた「マツダ」に行く。「予約がいっぱいで修理は11月15日までできない」といわれた。困った。ナビも動かないので、方向音痴の私は身動きがとれない。10月22日の集会どうしよう。"(-""-)"
マツダで車を見てもらってから午後5時ごろ家に着くと兵庫のMANAMIさんからの「いつもの宅急便」。食事の支度をするのもしんどいなぁと思っていたが、焼きそばや明石焼き、魚の干物、野菜、果物、饅頭などいっぱい。夕食はチンするだけでよかった。
忙しかったけれど、温かさがいっぱいで充実した一日だった.。


 10月8日赤羽の敦子さんからアロエジュースと手作りの味噌が届く。
以前には「運動器具」も送って頂き、毎日2回、二人で使っている。
「元気でね」の声に励まされる毎日だ。