近況  2021年12月7日

2021年もあと20日あまり
しかし、この一年は長かったように感じられる。
12月3日、インタビューがあった。
インタビューはあと、12月9日、15日、16日の三回
今年は、新型コロナ感染拡大の中、狭山集会、狭山現地調査、各地での集会は中止等の中で、インタビューが多くあった。
定例的には、部落解放同盟中央本部のホームページに掲載されているインタビュー、狭山パンフレット・近況のインタビュー。その他各地で開催される集会等へのメッセージもカメラに向かって挨拶をさせて頂いた。カメラに向かってのインタビューは苦手だ。私たちは、これまで全国各地で、支援者の皆さんの前で狭山支援のお願いをさせて頂いた。私自身、集会や学習会の中で、皆さんの表情や息遣いを感じながら、力を振り絞って訴えてきた。実は私は、人前で話すことは苦手で、事前に原稿を書き、清水の舞台から飛び降りるつもりで訴えをさせて頂いてきた。不思議なもので、狭山事件を知ってもらいたい、石川の冤罪を晴らしたいとの強い思いが、いつの間にか私を多弁にさせた。

しかし、一雄は違った。何としてもえん罪を晴らす、自分は無実なので必ず冤罪は晴れる、との強い意思を持って刑務所から出てきた。だから彼にとって、多くの人の前で、狭山事件の事、なぜ自分が犯人にされたか、なぜウソの「自白」をしてしまったのかを話し、支援を訴えることは天命。話すごとに熱を帯び、心の叫びとなり、支援者皆さんへの感謝の気持ちがほとばしる。

  
 2004年12月埼玉県連主催の団結餅つき大会
で習い始めたギターを手に満面の笑みを
仮出獄10年目の12月(私が一番好きな写真)

逮捕されるまでの一雄は、少し恥ずかしがりで、人前であまり話すこともなかったそうだ。

殺人犯にされた一雄が、獄中で文字と格闘し、多くの事を学び、学ぶことによって、事件の深層、陥れられた闇の深さを知り、怒りや絶望の中に突き落とされた。それでも、人との出会いが彼を救った。一雄は多くの支援者によって心折れずに済んだ。

一雄にとって、狭山事件の根本にある、被差別部落に生まれたこと、差別の結果貧しくて教育を受けられなかったこと、獄中で文字を取り戻したことが、結果として、自分自身の立場を知り、立ち上がり、成長するバネになったことは皮肉にも思える。

一年を振り返ってのインタビューが続く中で、様々なことを思い出した。やはり、2年ぶりに開かれた狭山中央集会(10月29日)で多くの支援者の皆さん方とお会いできた事、鑑定人尋問や証人尋問を勝ち取ることを皆さんと確認できた事が一番印象に残るうれしいことだった。

 また、長く支援してくださった方たちの訃報に、悲しみと、朗報を届けられなかったことへの無念が募った一年でもあった。

 11月27日 広島の「狭山裁判を考える福山市民の会」のTさんからうれしいメールを頂いた。
「11月23日『23デー行動』の写真を送ります。11名で行いました。ご通行中の方から石川さんへの励ましとカンパを頂きました。石川さんが粘り強く闘って頑張っておられることへの温かいねぎらいのことばを頂きました。行動のたびにいつも新しい言葉を頂いています。『まだ解決出来ていないのですか』の言葉を頂き、重く受け止めています。引き続きがんばります。~(一部抜粋)」

 
 「狭山裁判を考える福山市民の会」の狭山デー 2021年11月23日

 12月2日 「狭山事件にとりくむ東葛住民の会」から署名33筆が届いた。「11月28日『獄友』再上映会の参加者から頂いた署名お送りします。~(一部抜粋)」のお手紙と共に

12月6日 「狭山事件の再審を実現しよう市民のつどいin関西実行委員会」から署名102筆が届いた。「釜ヶ崎夏祭りと街宣で頂いた署名です。2月20日に『第6回狭山事件の再審を実現しよう市民のつどい』を行います。(一部抜粋)」とあった。

各地で闘いは続いている

新型コロナも終息している様に見えたが
新しい「オミクロン株」が現れた

これから寒さに向かう中、第6波の懸念も消えない

お体に気を付けてお過ごしください

また元気に闘いの場で出会えますように