新年メッセージ

 

今年こそ再審開始を勝ち取るぞという期待感を強く秘めて自分なりに精力的にとりくんで参りましたが、望みも絶たれ、溜息まじりで新しい年をこれまで何度迎えたことか、指折り数えるといやになってしまうほど長い年月でありましたが、今年は弁護団も鑑定人尋問、証人調べの請求をすることにしています。私も、再審開始のためには事実調べが不可欠でありますから、全力で訴え活動に邁進して参る決意をしております。

一昨年、昨年と新型コロナウィルスが猛威を(ふる)っていた関係で、私自身も集会等への参加を自粛せざるをえませんでしたが、支援者皆様にはその間も、決して闘いを止めないと、創意工夫した闘いが続けられていたことに、元気も勇気も希望も頂きました。

改めまして新年おめでとうございます。

この間、私自身が大いに疑問を持ち、納得できないのは、裁判における裁判官の自由心証主義であります。物事を判断するのに、恣意的に自由心証主義を振りかざされては被疑者、被告人にとって、たまったものではありません。偏見や、思い込み、警察、検察、先輩裁判官への忖度等あってはなりません。

憲法には「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、憲法及び法律のみに拘束される」とあります。

裁判官は証拠に基づいて判断されるべきでありますが、その証拠も、検察が自分たちに都合のいい証拠だけを出し、都合の悪い証拠は隠されるということがあるならば判断は間違ってしまいます。このような検察の証拠隠し、不当、不正義に、えん罪者は苦しみ長い裁判となっています。早急な再審法改正が求められます。

私の人生のこの58年間は,正に櫛風沐雨(しっぷうもくう)でありましたし、不幸(ふこう)(きわ)みの虐げ鞭(しいたげむち)でありました。再審無罪を実現しなければ、この先も、先行き不透明な不安と苦しみを払拭できないまま、月日を過ごすことになります。

振り返れば、私を犯人にデッチ上げ、辛苦の拘禁生活を余儀なくした三人の取調官を断じて許せないと仮出獄の当初まで不倶戴天(ふぐたいてん)の敵との強い意志を持ち、復讐しようと考えていたのは事実であります。しかし、そうなれば、支援者皆様方が何のために社会復帰に尽力してくださったのか、再び刑務所に戻されてしまうことを考え、思いとどまったのでした。

自白を強要され、32年間も無実の罪で受刑生活を強いられていたことは無念であり、承服できませんが、今は兎に角、裁判官に私の無実を知ってもらうことが先決と自分に言い聞かせ、訴え活動に全力で取り組んで参る所存であります。

 第3次再審請求では、弁護団のご尽力によって、福江鑑定、下山第2鑑定等、科学的な新証拠が多数、裁判所に提出されております。

全国の支援者皆様方も裁判官に対し、鑑定人尋問、証拠調べ、再審開始を行うよう働きかけて頂きたく心から願っております。

私は常々申し上げているように、今の第3次再審裁判以外にないと思っており、絶対に第3次再審で勝利するとの強い信念の下で、一人でも多くの方々に狭山事件、私の無実をご理解して頂くべく全精力を傾けて闘って参りますので、皆様方も最大限のご協力を下さいますよう年頭に当たり私の決意とさらなるお力添えをお願い申し上げて失礼いたします。

 

2022年1月

                              石川 一雄

全国の狭山支援者各位

 

 

櫛風沐雨(しっぷうもくう)~風雨にさらされながら、苦労して働くこと。世の中のさまざまな辛苦にさらされることのたとえ。

「不倶戴天(ふぐたいてん)~同じ世界で一緒にいられない、どうしても生かしてはおけないと思うほどに深く恨むこと。