2022年6月8日~9日、部落解放同盟第79回全国大会が日本教育会館で開かれた。
全国水平社が創立されて100年を迎えての大会。苦難の闘いの歴史と人間解放を求めた誇り高い闘いの歴史に思いをはせる。
8日の全体会で石川は更なる支援を訴えた。

えん罪 狭山事件
ストーン・リバーに詳細が掲載されています。

 6月11日、加須のスタンディング「9人の仲間で行った」と、Aさんからメールを頂いた。熱い思いが伝わってくる。私たちも胸熱くなる。

 6月13日、墨田の京子さんから長いお手紙を頂いた「~『真実はひとつ!石川さんは無実だ!狭山事件の再審を求める6・24墨田集会』を成功させたい。水平社100年の闘いの半分以上狭山を闘ってきた。狭山の闘いは多くのかけがえのないものを生み出してきた。部落差別がつくった冤罪を晴らさずして部落の解放はない。字が書けない。仕事がない。結婚できない。自己否定に追いやられたものが、実は部落差別によるものだと気づくことができた。恥ずかしいのは、部落の私たちでなく、社会に存在する部落差別とわかった。そしてそれと闘う多くの大切な仲間と出会う事が出来た。狭山の闘いは多くの部落の仲間の心を一つにしてきたと思う。そして共感する人々を広げてきた。『6・24集会』は、その確信を、この重要な局面を迎えるこの時に、第3次再審にむけてかため、共有していこうと持たれる。『だから私はここにいる。狭山59年、狭山と私リレートーク』という形となりました。~真実はひとつ!正義は我らに!!いつも一雄さん、早智子さんとともに」(一部抜粋)

 同日、福岡のOさんからのお手紙「~25日の狭山現地調査で改めて感じたことがあります。視力を失いかけている私には万年筆が発見された『鴨居』は見えません。見えないからこそ、手で鴨居を探ると、何かすぐに指に触れました。『鴨居』に置かれた万年筆です。問題は見えるか見えないかではなく、何かを探そうとして『鴨居』に手を伸ばせば、すぐに指に触れるということです。視力障がいであるがゆえに『鴨居』の上の万年筆が簡単に発見できる場所であることを確信しました。~今回の上京で二つの狭山集会、高裁・高検への一人要請行動、23デー街宣への飛び込み参加、狭山現地調査と急ぎ足の行動でした。
狭山第3次再審請求は第4コーナーを周り、後は息を止めて一気に、という感じを強く持ちました。二つの狭山集会では新しい驚くような方針の提起はありませんでした。だからこそ、狭山闘争に取り組む一人ひとりが、昨日取り組んだ狭山闘争を今日も繰り返すのではなく、一ミリの前進を実現することだと思います。~」(一部抜粋) 

 
 2022年5月25日の現地調査

0さんは6月8日から二週間ほど手術のため入院されるという。そのような中で、精いっぱいの闘いを続けられ、お手紙を頂いた。

 59年前の今ごろ(1963年5月23日から6月にかけて)、石川は毎日毎日、厳しい取り調べを受け、やってもいない狭山事件の犯人として「自白」を迫られていた。

落ち込む日々の中で、支援者皆さん方の大きな励ましに支えられている。

一人ひとりの闘いが狭山を動かす力だ。

皆さんの狭山への熱い思いはきっと裁判官に届く。
真実はひとつ!正義は我らに!

6月13日、保護司との面談日