近況   2022年7月20日

 山梨のメグさんからお手紙が届いた。中には10首の歌が。上記はその一首。
7月初め、メグさんからカリカリ梅が届いた。一雄は柔らかい梅より固い梅が好きで、毎年送ってくださるカリカリ梅を毎日頂いている。一日2食だが、カリカリ梅、納豆、トマト、豆腐、モズク、野菜は欠かさない。私は、きっちり三食で、欠かさないのは、カリカリ梅、トマト、野菜、ピクルス。いい食生活をしていると思っている。
メグさんは、カリカリ梅を作るために、たくさんの時間と労力を費やしている。一雄のポスターを眺めながら、「作る時間が楽しい」と言ってくださるメグさんの、ひまわりのような笑顔が温かい。
亡くなられたご両親を偲ぶ歌に、一雄の思いが重なる。先日テレビを見ていた時、古い昭和の歌謡曲が流れた。歌詞に「お母さん」と出た時、一雄が涙ぐんだのを見た。大好きだったお母さん。苦労をかけたまま、病気になられても一日の看病も出来ず、見送ることも出来ないままに旅立たれたお母さん。切ない思いがこみ上げたのだろう。私も切なくなった。

 事件発生から59年、石川一雄は83歳になった。
59年の闘いの年月はまさに、苦闘の年月であり、人間の尊厳を取り戻す年月だった。
「苦しい年月であったけれど、苦しいだけでない、多くの事を学び、人と出会い、人の温かさに助けられ、自分自身との出逢い直しの年月であった。心が豊かになった」と彼が言える人生でもあった。

 メグさんたちと出会ったのは、10年以上前だったと思う。鎌田慧さんから「狭山事件の石川一雄さんの集会があるから行こう。」と誘われたそうだ。
集会の帰り、偶然電車で一緒になった。それ以降、メグさんのお連れ合いのトリさんは、高裁前の狭山アピール行動に毎回来てくれるようになった。5年ほど前に彼女の家にお見舞い(というより遊び)に行ったが、バスで片道2時間半くらいかかり、運賃も高く、こんなに遠い所から来てくれていたのだ、と驚きと感謝の気持ちでいっぱいになった。彼は高裁前に来るたびに、狭山グッズを作って来て下さった。彼は今、通院以外はあまり外に出ないそうだが、日比谷の狭山集会には必ず来てくれる。「実は私より妻の方が昔から狭山支援者だったんです。」 何時だったか、彼が話してくれた。お二人と、偶然電車で出会わなかったら、鎌田さんが誘ってくれなかったら、今の関係はなかったかもしれない。人との出逢いは私たちの宝物、財産だ。