近況   解放新聞の号外    

 2022年9月23日、「狭山23デー」の日、解放新聞の号外(2022年9月21日)が届いた。全面狭山だ。
大きな見出しに「事実取り調べ請求書を提出」 「全力で署名運動にとりくもう」とある。
最終段階に来た狭山闘争。
59年前の1963年5月23日、石川は別件逮捕されたが、その日から狭山事件の犯人として厳しい取り調べを受けた。それから31年7カ月、狭山に帰ることはなかった。その後、「死刑判決」「無期懲役」の判決。1994年12月21日、仮出獄でふるさと狭山に帰った時には、両親は既に亡く、ふるさとの景色は一変し、訪ねて来てくれた友人の顔さえわからなかったという。その時の歌が

「えん罪の受刑生活解かれども 故郷に立ちて吾は浦島」 だった。

仮出獄で社会に出られたとはいえ、無念の日々は今も続いている。

今日9月23日は、石川が別件逮捕された「23日」を決して忘れない、許さない日とし、全国各地で「狭山23デー」の闘いが取り組まれている。全国水平社創立から100年、そのうちの60年近い年月、狭山が闘われてきたのだ。
今総決算の時。その意気込みが全国各地から伝わってくる。
フェイスブック「狭山事件の再審を実現しよう」に各地での取り組みが紹介されています。

 2022年9月22日、部落解放鳥取県共闘会議から現調

   

 暑さも和らぎ、新型コロナも少し収まったように思えるこの頃。
鳥取県の共闘から狭山現地学習会に来て下さった。自治労をはじめ、多くの労働組合が狭山現地に来てくださることは、とてもうれしく、元気も勇気も頂く。私自身が、労働組合運動の中から、部落解放運動に出会い、狭山に出会い、石川一雄に出会った。それまでの私自身の生き方を大きく変えた出会いだった。今石川と、同じ目的、方向を向き、部落解放、無罪獲得に向け闘っている。
共闘(労働組合、宗教者、市民・住民の会、個人等)の皆さんのご支援は、狭山の大きな支えであり、力だ。

 9月21日、二人とも病院へ。一病息災

病院から帰るとレターパックが届いていた。
「狭山再審を求める市民の会・しが」から、新しい署名用紙「事実調べ(鑑定人尋問)を行うよう求める」署名18筆だ。
18日、「市民の会・しが」が草津駅前で狭山情宣行動をされたときに集めてくださった。
まだ新しい署名活動が始まったばかり。一番に届いた署名。胸がジーンとする。
また以前の署名用紙「狭山事件の公正な裁判ー事実調べ・再審開始を求める署名」33筆とで合計51筆。皆さんありがとうございました。

また毎日「石川一雄さんへの激励と連帯のメッセージ」のハガキが届いている。
「くまもと『狭山事件』を考える住民の会」が作った狭山ポスターに、東京高裁に「鑑定人尋問を求める」要請ハガキ、東京高検に「全証拠の開示を求める」要請ハガキ、石川一雄あてには「激励と連帯のメッセージ」のハガキが印刷されている。裁判所や、検察庁にも毎日ハガキが届いているのだろう。

 9月20日、愛犬の散歩途中に満開のヒガンバナ。

   

 9月19日は「敬老の日」、姪の子ども「SAKURA」から「いつまでも元気でね」とブリザーブドフラワーが届いた。少し涙ぐむ。

 9月14日、神奈川のシスター・ミサイさんから一生懸命作った「かぼちゃ」と「シシトウ」が届く。長いお手紙に「~要請ハガキをがんばります。~10月28日、狭山集会の日がお天気に恵まれますように。この日に集う全員の上に健康と祝福、めぐみが注がれますように~(一部抜粋)」と書かれていた。

 多くの人が狭山事件に関心を持ち、公正な裁判、事実調べを求めて闘い、祈り、石川一雄に心を寄せてくださっている。再審制度がなぜあるのか、裁判官はもう一度原点に返り、狭山事件の事実調べを行って頂きたい。
署名の一人ひとり、要請ハガキの一人ひとりの思いや願い、裁判所への正義を求める声に真摯に耳を傾けて頂きたい。