寺尾不当判決48ヵ年を迎えてのメッセージ
諺に「桐一葉(きりひとは)」といって、昔の人たちは、桐の葉が一枚落ちるのを見て、秋の気配を感じたそうですが、私の場合、秋を何十回迎えたであろうと思い返すと遣(や)る瀬(せ)無(な)い気持ちに駆られることは否定できないまでも、その事は禁句とし、近年では寿命が百年時代に突入といわれており、だとすれば、私はまだ十六年余りあるわけですが、新型コロナ感染拡大の関係で、今は家の中に居ることが多く、新聞、機関誌等に目を通していると不倶戴天(ふぐたいてん)の心境は払拭できませんが、今は兎に角、再審闘争に重点をおき、自分の逸(はや)る気持ちを抑えて闘いに専念しています。
当時、如何に無知とはいえ、警察の罠に嵌(はま)ってしまった自分自身に毎日が自責の念で一杯乍ら、冤罪を晴らすのに、このように長い年月が必要だとは想像もできませんでした。
この10月には寺尾不当判決48カ年糾弾集会が全国各地で開催され、然もコロナ禍の終息しない中での集会であるだけに、ただ只管(ひたすら)に大変申し訳なく、またご迷惑をおかけし、相済まない気持ちで一杯です。
然し一方、先般弁護団は、私の無実を明らかにする新証拠を作成した科学者や、元科捜研技官など専門家11人の、鑑定人尋問の必要不可欠性を求めた事実取り調べ請求書を東京高裁第4刑事部に提出しました。それらを裁判所が如何に重く受け止め、採否を判断するかに、私の生死がかかっているわけです。
想えば科警研の鑑定では私方から発見された万年筆のインクと被害者のインク瓶のインクの同一性を否定されていたにも拘わらず、科警研の鑑定は証拠として調べられることなく、確定判決もインクの違いに触れないまま誤判を招いてしまったのではないかと思われます。考えてみれば、常識的に有り得ないのです。例えばNさんは、本件の起きる一週間前頃、被害者にインク瓶を貸したが、入れるところは見ていないと供述しており、何よりも事件当日被害者が書いた日記、授業中に書いた浄書を含め、一貫してジェットブルーのインクを使用していた被害者が、わざわざ当日、異なるインクを補充する訳がないのです。
そういう意味で蛍光X線分析によるインク鑑定をはじめ、弁護団が請求している11人すべての鑑定人について証人尋問をおこない、裁判所は、大局的見地に立って、単に検討するのではなく、事の理非を熟慮され、法の下(もと)の平等の原則に基づいて裁判所が職権で持ってインクの違いについて鑑定して頂くことが公正な判断と確信しております。
私・石川一雄が、この先、30年、50年と生きられる訳ではありませんが、調べ官の陥穽に落ち、無実の罪で59年間も、苦悩し、83歳の今も、冤罪を晴らす闘いの日々を送っていることを裁判官にご理解して頂き、何としても鑑定人尋問と職権鑑定をして、真実を明らかにしていただきたいと願っています。
支援者皆様方には、裁判所に対し、弁護団請求の鑑定人尋問をし、もしくは自ら職権で鑑定されるよう声をあげてくださるよう心から願っております。
◎生死賭し堅固豪傑三次に臨み 司法の正義で無罪判決
2022年10月
石川 一雄
寺尾不当判決48ヵ年糾弾
狭山再審要求集会参加各位
桐一葉(きりひとは)・・・・・・桐の葉が落ちるのを見て秋を知ること
堅固豪傑(けんごごうけつ)・・・意志が強く度胸のすわった人
慰藉(いしゃ)・・・・・・・・・なぐさめ助けること
拋棄(ほうき)・・・・・・・・・投げ捨てる
驚天動地(きょうてんどうち)・・世間を非常に驚かせること