近 況 12月21日
2022年12月21日、大きな胡蝶蘭が届いた。
忘れずに、毎年12月21日に送ってくださるセッチャン。最近体調が良くないようで心配している。
彼女と出会って何年になるだろう。14~5年くらいかな?彼女との出会いは、彼女からの衝撃的なメールから始まった。
「石川さんが私のおばさんとボートに乗っている写真を見ました。」 一雄がT製菓会社で働いていた時におつきあいしていたKさんの姪からだった。T製菓会社には3年ほど働いていたが、一雄にとって一番幸せな時間だっただろう。
12月21日は一雄が1994年12月21日に仮出獄した日であり、96年12月21日は、私たちの結婚記念日でもある。仮出獄して28年、結婚して26年が過ぎた。
コロナ禍になって、人と会うのが少なくなった。
12月21日、滋賀のヨッチャンから「媛マドンナ」が届いた。ヨッチャンには今年一番お世話になった。いつもありがとう。
21日、一雄は午前、病院に(糖尿病の定期検診)
12月20日、労働組合なにわユニオン(Hさん)から、団体署名9団体、個人署名150筆が届いた。たくさんの方が様々に狭山の闘いを続けて下さっている。
12月20日、午前、現調だった。「カモイをみたい」「石川さんに会いたい」と高校生2人が来て下さった。
とてもうれしかった。一雄もいっぱい話をしていた。
20日、午後、石川は運転免許証を返納するために狭山警察に行った。思い入れのある免許証。返さなくていいのではと思ったが、「運転経歴証明書」が欲しいという一雄。しかし、「運転免許証」も返してもらった。良かった。
12月19日 千葉県のIさん(東葛住民の会)から速達で署名62筆が届いた。お手紙には「『狭山事件にとりくむ東葛住民の会』に三年前から参加させて頂いている者です。昭和22年生まれの私は、事件発生時は、被害者のNさんと同じ高校一年で、当時、隣の群馬県に住んでおりました。高校生の私でも『石川さんが犯人だという確証は何もない』と思いながら新聞の記事を読んでいたことを鮮明に覚えております。しかし、法律にうとい私は、石川さんが仮釈放となった段階で『狭山事件は終わった』と思い込んでおりました。松戸で『見えない手錠をはずすまで』の映画を観せて頂き、以後、毎月1回のスタンディングに参加しております。今回の署名集めもがんばりました!!”来年を再審開始の年に”お体ご自愛下さい。署名集め、これからも取り組みます」と書かれていた。
19日、徳島のみどりちゃんから署名42筆が届く。お手紙に「~この度CHINAMIさんから緊急署名を依頼されましたが、職場や、解放同盟で取り組まれており、少ししか集めることができませんでしたがお送りいたします。~お会いできる日を楽しみに、いや再審が開始されることを強く願っています。(一部抜粋)」と書かれていた。彼女との出会いは40年位前だろうか。彼女が高校生だった。月日が経つのは早い。今も頑張っている彼女に乾杯!
12月17日、加須のAさんから、ユズ茶、フルーツトマトが届いた。以前に頂いたユズ茶があまりにおいしかったので、私も作ってみたが、うまく作れなかった。ユズ皮をむくのも大変、ユズを細く刻むのも難しかった。Aさん「出来ないこと無理しなくていいの。」とさらり。兵庫のMANAMIさんを思い出す。
最近、MANAMIさんに「補聴器を落とさないように工夫して」と頼んだ。彼女は、メガネヤさんや補聴器の店、手芸の店に相談に行ったそうだ。「80歳を超えた人と70歳を超えた人が耳が聞こえにくくて補聴器が必要になったが、このままでは落とすので何かいい方法はないですか?」「この人たちは冤罪を晴らすために全国各地を回っているんです。」「どうしても必要なんです。」「メガネやマスクをしているので、取り外しをするときに補聴器が落ちそうになるんです。」と話し込んだという。野菜やニンニク、山芋等を送ってくれる時も、八百屋さんで「狭山」の話をするのだという。「普段の生活の中に狭山がある」と言う彼女。彼女と話をしていると元気が出る。楽しい。
12月16日、大阪の道浦母都子さん(歌人)から署名、手紙、たくさんの切手が届く。お手紙に「署名用紙はコピーして友人に送りました。よい結果を待ちます。」と書かれていた。
12月15日、福岡の尾上さんから署名が届く。長いお手紙に「12月10日は世界人権デーでした。日本でも全国各地の自治体や団体が人権週間としての講演会等を企画しています。福岡市でも12月5日から10日までの6日間、市内各地で人権講演会が開催されました。狭山事件は最大の人権問題です。そこでこの6日間人権講演会に狭山署名を集めるために出かけました。『マイ署名ボード』を作りました。熊本住民の会作成のポスターを貼り、マイクアピールをしながら署名を集めました。述べ署名数は75筆です。署名をして頂いた方へ感謝です。~誰かがやってくれるだろうではいけません。私がまず行動することです。すぐに取り組めるのは街頭署名だと思い、この三カ月は土、日に何とか時間を作り、街頭署名に立ちます。~(一部抜粋)」と書かれていた。尾上さんのほとばしる熱い思いが伝わってくるお手紙だった。
狭山の闘いは多くの人の闘いに支えられている。
私たちは多くの人たちに支えられている。感謝の気持ちでいっぱいだ。