石川さんの自己実現は私自身の自己実現  一戸彰晃さん

 2023年7月3日、青森県の「一戸彰晃師を偲ぶ会」が東京で開かれた。
曹洞宗 雲祥寺の住職で、2000年11月2日、青森県・宗務所主催の人権研修会で狭山現調に来られた。その時「このようなことがあってはならない。今まで気づかなかったこと、何もしてこなかったことに申し訳ない気持ちでいっぱいだ。私は雲祥寺のホームページを作っているので、そこに『狭山事件コーナー』をアップしたい。」と話されたのが一戸さんだった。私はこの年の5月にホームページ「冤罪・狭山事件」を立ち上げたばかりだった。パソコン教室に通い、四苦八苦しながら更新をしていた。一戸さんがそのように話されても、失礼なことに本気にはしていなかった。そして3日後の11月5日雲祥寺のホームページに「狭山事件コーナー」が本当にアップされていた。中身も充実し、非常によく調べられていた。驚いた。それから一戸さんたちとの交流が始まった。
2003年には東北で初めて「狭山事件を考える青森県住民の会」が発足。
以降、私たちを何度青森の地に呼んでいただいたかしれない。
たくさんのアイデアで狭山の闘いを盛り上げてくださった。狭山集会には着ぐるみを着たり、狭山チンドンで太鼓を敲き、笛を吹きながら、「石川さんの無実、狭山事件を多くの人に知ってもらおう、司法を動かそう」と、汗だくになりながらデモ行進をされた。
私たちが何時も付けている「狭山バッジ」も一戸さんのアイデアだ。

   
 2005年、「IMADRー通信no.138号」に書かれた一戸さんのメッセージ
~2000年11月2日、狭山市ではじめて石川一雄さんにお会いした。そのウラオモテのないお人柄に触れて私は無実を確信した。衝撃的な出会いだった。なぜなら私はそれまで国家やら世間を暗黙のうちに信じていて、もちろん司法も信じていた。~
「狭山」から遅ればせながら始まった私の仏弟子としての旅は「平和」=「反戦」「環境」=「多国籍企業による地球破壊の防止」「人権」=「属性によるあらゆる差別の撤廃」という旅の途上にある。それは石川一雄さんとの出会いから始まり石川一雄さんにすべて収斂される旅だ。石川一雄さんの「自己実現」は私自身の「自己実現」だからである。 (一部抜粋)

 体調を崩されていた事は伺っていた。2023年3月25日ご逝去された。突然の訃報だった。お世話になってばかりだったが、狭山を精いっぱい闘い朗報をお伝えすることが私たちの出来る恩返しだと思っていた。何の恩返しも出来ない儘旅立たれた。
彼のさまざまな活動は、偲ぶ会の参加者の多彩さが物語る。
一戸さんは「私の社会活動の原点は狭山に出会ったことです」といつも話されていた。
2011年の狭山集会で「狭山の闘いは半世紀も扉を閉められてつづけてきた。私たちの意志が試されている。ぜったいあきらめない意志、自己表現が問われている」と話された。

一戸彰晃さんありがとうございました
狭山の闘いも今が最大の山場
一戸さんに一日も早く朗報をお届けしたい
あなたの闘いと笑顔を忘れない