2023年8月27日、福岡県の「狭山問題を考える添田町住民の会」と「添田連協」から現調があった。
猛暑が続く中の現調。コロナ禍の前には、添田から毎年2~3回は現調に来てくださっていた。私が狭山に来てから、現調に一番多く来てくださるのが添田だった。闘いの中心課題に「教育」問題を据えていたように思う。だからこそ、差別の結果、教育を奪われ、冤罪に陥れられた「狭山事件・石川一雄」の生い立ちや、闘いを運動の中心に据えていたのだろう。現調のたびに、解放子ども会からの寄せ書きや、お手紙を頂いた。雨漏りや、現地事務所での実験(カモイの万年筆を見つけられるか等の実験のために事務所をかたずけた)のために、残念ながらたくさん消失してしまったが、子ども会の皆さんの成長の記録でもあった寄せ書きやお手紙は私たちの宝物でもあった。
久しぶりの皆さんとの再会。
一雄は最近落ち込んでいたが、皆さんに元気を頂いた。そのことがうれしかった。

   

 8月23日、布川事件の桜井昌司さんの訃報が届いた。桜井さんと一雄は、東京拘置所、千葉刑務所、また社会に出てからも交流が続いた。さまざまにお互いに困難な事情はあったが、冤罪を晴らす、冤罪を許さない、冤罪を無くす、という共通の目的と、共に過ごした年月は揺るぎないものだった。苦しい闘いの年月もお互いが切磋琢磨し、共に闘ってきた同志、獄友だった。

 8月27日、夕方もう一つの訃報が届いた。
日本キリスト教団の丹波二三夫さんが亡くなられたとお連れ合いさんから連絡を頂いた。長い闘病生活だったが、最近はコロナ禍でお見舞いに行くこともできなかった。高裁前アピール行動の時は、いつも彼の姿があった。熱いアピールに心震えた。「一番印象に残っている集会は」とよく聞かれたが、スイスの国連に行ったことを除いては「築地本願寺で開かれた『宗教者のつどい』です」と答えていた。宗教者が一堂に集まって、たったひとり石川一雄の冤罪を晴らすために祈り、パレードをし、闘ってくださった。道行く人は何事かと驚きの表情で見ていた。インパクトは最高だった。

   

この集会を企画し、実行された中心に丹波さんがおられた。
ある宗教者の人から「このような集会は最初で最後でしょう」と話されたが、2回目も開催された。
彼は「私は石川さんが大好きです」とよく話されていた。未だに丹波さんに朗報を届けられない事を申し訳なく思う。丹波さんありがとう。丹波さんのご冥福を心からお祈りいたします。

8月は大きな悲しみがあった

それでも60年目の狭山闘争に現調に来てくださる人たちに励まされた
「狭山事件にとりくむ東葛住民の会」から署名18筆が届いた
千葉のKさんからソバやみすゞ飴が
「元気をだして」というように、兵庫県のMANAMIさんからは
段ボール箱いっぱいの送りものが届く 😢