現調・研修会等 (2023年10月22日~24日) 転んだ!
2023年10月24日、「第26回人権教育・啓発リーダー研修」が大宮で開かれた。
3日間、9講座の中の「えん罪と人権」という90分の講座だ。参加者は企業の人権担当者,行政職員、教育関係者、宗教者等、それぞれの立場で人権問題にかかわっている方たちだ。人権って何なのだろうと自問する。「幸せに生きる権利」かなぁ。人それぞれに幸せの基準は違うかもしれない。でも、人間の尊厳を守る、侵してはならない、命や人を大切にする、当たり前の事のような気がする。
一雄は60年、冤罪を訴え続けている。人生の大半を「殺人犯」の烙印を押され、その烙印を投げ返すために闘い続けている。家が貧しかった。学校にほとんど行けなかった。文字を知らなかった。学校に行っても教科書もノートも鉛筆もなかった。雨の日は傘がないので学校を休んだ。小学校5年で年季奉公(住み込みで働く)に行った。一雄の両親も文字を知らない。部落差別が根底にあった。
私自身も就職差別にあった。そのことは決して忘れないし、今もなお無念と悔しさがある。その思いを抱えながら生きてきた私にとって、このような研修会は大きな希望だ。
一雄が冤罪に巻き込まれ、犯人にされていく過程を語った。刑務所で正義感ある看守に出会い、文字を取り戻し、自分自身の立場を自覚していく一雄の報告は、まさに部落差別の中で多くのものを奪われてきた一雄が、一人の人間として覚醒し、立ち上がっていく報告だ。えん罪はあってはならない大きな人権侵害だ。一雄の訴えは、きっと届いたと思う。
研修会を終え、地下駐車場に行った。5段くらいの階段があった。後ろで「ドスン」と大きな音がしたので振り返ると一雄が階段から転げ落ちていた。倒れてしばらく起き上がれなかった。顔に擦り傷ができ、腕をしたたかに打ったようだ。しばらく階段に座りこんでいた。駐車場係の人(監視カメラ?)が来て「大丈夫ですか?」と聞いてきた。「大丈夫です」と言いながら立ち上がった。「病院に行く?」と聞くと「明日病院に行くので、見てもらう。」と言う。研修会で「私は無罪を勝ち取るまで倒れられない。100歳まで生きたい」と言ったばかりだ。
10月23日~24日 「同宗連」第37回「狭山」現地調査学習会」が開かれた。
23日、13時~17時50分まで学習会 24日9時から10時まで学習会の後、フィールドワーク、午後から代表者が東京高裁に要請行動と、2日間の日程が37年続いている。
各地から、各宗教者の方45人が来て下さった。一雄は予定時間をはるかにオーバーして支援の訴えをした。狭山の闘いは、幅広く、多くのご支援を頂いている。
24日、皆さんが高裁に要請行動をされる。まもなく57回目の三者協議。
10月23日、共同通信・記者のインタビュー
10月22日、隈元記者(彼の記事はとても心打たれる)のインタビュー
その後、埼玉県連・邦子さんと新聞社のK記者とで解放新聞全国版・新年号のインタビュー
10月24日、東京のAさんから多大なカンパが届く。鹿児島に療養に行く前に送ってくださったそうだ。鹿児島にいる彼女に電話すると「冥途の土産にと思って石川さんに送ったのよ。でも、先生に見てもらったら、大丈夫だって。治療は一日に数分。あとはゆっくりしてる。石川さんは今とても忙しいって山梨のTさんに聞いてるけど、のんびり温泉に一泊でもしてもらいたいとおもってわずかだけれど、受け取ってね。今病院だから礼状も何もいらないから」とのこと。明るい彼女の声と笑い声にホッとしたり、一緒に笑ったり・・・・彼女の心遣いと共に、楽しい時間を頂いた。
25日、一雄病院に行く。(転んだのが心配だ)
24日、神奈川のシスターミサイさんから柿がたくさん届いた。
いつも温かい。90歳を超えられた彼女のパワフルな笑顔が浮かぶ。
23日、加須のAさんから初なりのフルーツトマトが届く。「~初なりのフルーツトマトです。~初物を食べると長生き出来るとか。お二人でと是非食べてください(一部抜粋)」とメールが届いた。そういえば、ずっと以前母から「初ものを食べたら3日、長生きするのよ」と聞いた記憶がある。だから母によく「初もの」を送っていた。Aさんの優しさが身に染みる。
狭山を闘う人はいつも温かい。熱と光がいっぱいだ。