闘いの日々の中で 2023年11月10日~12日
2023年11月12日、福岡県から解放子ども会の現調
集会所で | 現地事務所でミカン狩り |
11月12日 13時、高校生、中学生、小学生、そして関係者の皆さんと集会所で交流学習会。皆さん初めての方がほとんどで、一雄の話を一生懸命聞いて下さった。一雄は元看守さんに文字を教えてもらったことを話しながら「文字を取り戻して多くの事を知った。手紙を書き、本を読んだ。獄中にいながら心が豊かになった。社会に出たらなかなか勉強をすることは難しいので、学校にいる時に一生懸命勉強をしてほしい。無知が如何に私を苦しめてきたか、文字を取り戻すことによってよくわかった。事件に巻き込まれてウソの『自白』をしたことで、今も全国の支援者の皆さんにご迷惑をおかけしている。裁判官が法廷を開いてくれない限り、私のえん罪は晴れないので、裁判官に法廷を開いてほしいと訴えているし、支援者皆さん方にもお願いしている。『裁判を開いてほしい』との声をあげて頂きたい。私はまもなく85歳になる。冤罪が晴れたら皆さんと歓びを共にしたい」と訴えた。
一生懸命聞いて下さる子どもたちに一雄は元気を貰った。
11月11日、東京教組の皆さんが現調に来て下さった。
何十年ぶりの現調の方も。
一雄は特に、子どもさんや、学校の先生方が来てくださる事がうれしいようだ。
一雄の思いはきっと皆さん方に伝わったと思う。
「部落解放・人権徳島地方研究集会 反差別研修・狭山現地調査」
11月10日~11日、故郷、徳島から現調に来て下った皆さん。徳島を離れて26年以上になる。それでも同じ職場で、労働組合運動や、狭山を共に闘った人(現在退職されている)や、私の出身単組からも2人来てくれてうれしかった。徳島連合・会長で徳島地方共闘会議議長の島和久さんから「石川さんの冤罪が晴れる迄共に闘い抜く」と力強い挨拶を頂いた。
来年2月、徳島で開かれる「第44回部落解放・人権徳島地方研究集会」に私は第1回から参加している。狭山に来てからも毎年呼んで頂いている集会。2024年2月に開かれる集会にはじめて参加できないことを伝えた。一雄は元気だが、目が見えにくいため、遠くに行くことが難しくなったためだ。仕方がないことだが、寂しさは隠せない。
この現調に、徳島新聞の記者が参加してくれたこともとてもうれしい事だった。
10日は交流学習会。11日が現調。皆さん2日間ありがとうございました。
第43回 埼玉人権フォーラム
2023年11月10日、東松山市民文化センターで第43回埼玉人権フォーラムが開かれた。
第3分科会「狭山事件」。
一雄は「無実の罪で60年苦しんでいる。騙されたとはいえ、警察の甘言に乗せられ、『自白』したことで、60年殺人犯のレッテルを貼られたままだが、しかし、一方60年前にはわからなかったことが、医学・科学の進歩や証拠開示に因って明らかになったことがある。特に証拠開示によって出された取り調べの『録音テープ』を裁判官に聞いてもらえれば、私の無実が一目瞭然だとわかる。この60年、辛い年月であったが、心で泣いても涙を流してはいけないと自分に言い聞かせてきた。自分が『自白』した結果だからだ。文字を知って多くの事を学んだ。教育を受けられなかったことで親を恨んだこともあったが、なぜ教育を受けられなかったか、ということも理解できた。
3次で勝利できなければ、生きて冤罪は晴れないだろう。裁判官に対し、公平な裁判をしてほしい、弁護団が求めている鑑定人尋問を行ってほしいという声を届けてほしい。裁判が始まらない限り、私の『殺人犯』のレッテルははがれない。」と訴えた。
報告の後、直ぐに会場を後にした。16時から徳島から来て下さった現調の人に挨拶と支援のお願いに行くために。
10月31日は、日比谷野外音楽で、寺尾差別判決から49年目の集会だった。
あの日はバタバタして一日が過ぎた。
振り返ってみると、温かいたくさんの言葉等を頂いた。
山梨のメグさんご夫妻から署名6筆とお手紙。
兵庫のTさんから署名30筆。
福岡・田川の子ども会から、今年も寄せ書きを頂いた。
東京のGさんから10月31日に出された埼玉新聞の
「最後に笑顔願って」と書かれた早智子の記事をいっぱい印刷して持って来て下さった。
11月1日にはGさんから68筆の署名が届いた。
各地から東京・日比谷まで来るだけでも大変なことなのに。
皆さんの闘いと温かさに涙する。
そして闘志が湧いてくる。
『よし』と。