近 況    2023年11月17日

 2023年11月17日、解放新聞全国版のインタビュー

 11月17日、6時50分、メールが届いていた。徳島のSさんから、徳島新聞の17日の記事だった。Sさんとは徳島で一緒に解放運動、狭山を闘ってきた。国保労組・部落解放闘争実行委員会の中で、10年余り彼が実行委員長、私が事務局長として、悩んだり、運動が停滞したりしながらも、いつも精いっぱい、誠実に運動に向き合い、闘いを進めてきたと自負している。Sさんは徳島の部落解放運動・狭山を牽引したい、進めたいとの思いがあったと思うが、私自身は最初は小さな目標だった。職場で部落問題を語りたい、職場に被差別部落の人が入ってきたらその人が「ここに部落研があってよかった。部落問題を語れてよかった。この職場に入ってよかった」と思える職場を作りたかった。だんだんに「狭山の石川さんの無罪獲得を」が目標にはなっていったが、それでも軸足は職場にあった。私が就職したころは、日常的に差別発言や差別言動があった。それが差別と気づかず発言する人や、いやがらせで発言する人、自分を守るために発言する人、様々にいた。小さい職場であったが、それは全国の縮図であったと思う。分断する道具でもあった。あれから半世紀以上が過ぎた。部落研ができた時、悩みながら実行委員になったが、その時Sさんの「一緒にやろう」の声があった。共に行動し、様々なことを学んだ。多くの出会いもあった。今もその職場の労働組合から、日比谷の狭山集会や、狭山現調に来てくれている。
Sさんは、徳島新聞の読者の投稿欄にしょっちゅう狭山を投稿してくれているが、「投稿者が多く、なかなか採用されない」と嘆いていた。11月16日、「読者のてがみ」にSさんの「狭山事件 早期再審開始を!」との投稿が載った。うれしかったなぁ。朝、新聞が届き、6時50分にメールで送ってくれるのは大変なこと。ただただ感謝!ありがとうSさん。

 11月16日、兵庫県のT美さんから署名90筆と長い長いお手紙、そしてこれまで支部の解放文化祭等で出されていた作品を送ってくださった。家が貧しくて学校に行けなかった生い立ちは一雄と一緒だ。どんなに貧しくても、一生懸命働き、人間の誇りを失わず、凛として生きた彼女の生い立ちや、お母さんの事、石川一雄への思いが、識字教室で文字を取り戻した喜びとともに綴られている。今、体調を崩されているが、共に佳き日を迎えたい。

 11月14日 滋賀のNさんから24筆の署名が届いた。彼女はいろんな集会に行く度に狭山の署名を持っていってくれる。狭山の闘いはこのような一人ひとりの闘いが繋がって今がある。

 11月14日、青森のNさんから荷物が届いた。10月24日、一雄が「階段で転んだ」とホームページに載せたが、それを見てスティックを送ってくださった。遠慮深い彼女から「送ってもいいかな?」と、メールが来た。一雄に聴くと「使わない」と言ったがいつだったか、雨が止み、傘を杖代わりに使うと「歩きやすい」と言ったので、彼女に送って頂いた。お連れ合いさんが使っていたキティちゃんの折りたためるスティックとキティちゃんの腕時計。とってもしっかりしていてすてきな物ばかりだった。これまで私が使っていた腕時計は、12~3年前兵庫のHさん(日本基督教団)から頂いた時計だった。集会の時、私がしていた腕時計が壊れたが、その時、自分の腕にしていた時計を下さったのだ。夜外すだけで、十何年もずっと付けていた腕時計。壊れたというとお連れ合いさんの形見と言って送ってくださったNさん。 皆さんありがとうございました。