2023年12月21日、「部落解放栃木県共闘会議」から16人が現調に来て下さった。
寒い一日だった。ニュースではあちこちで大雪だったようだ。
11時から集会所で交流学習会。石塚・県共闘会議議長から「60年の狭山闘争、一刻も早く再審を勝ち取るために、一丸となって闘う」と挨拶を頂いた。一雄は「皆さんの応援が司法を動かす。皆さん方の声を司法に届けて頂きたい。このままでは三途の川を渡れない。今、目、耳を除けば元気だ。100歳まで生きたい。皆さん方の応援を」と訴えた。午後から寒い中を現調をされた皆さん、ありがとうございました。

   

 現調後、3時過ぎから、集会所で、Yさん、Fさんと、新年のビデオメッセージの撮影と、打ち合わせ。その後、早智子がスマホを変えたので、パソコン(Wi-Fi)に繋いでもらったり、スマホに乗換案内等の機能を入れてもらった。午後5時半ごろまでかかった。すみませんでした ( ;∀;) ありがとうございました。

     仮出獄から29年目の12月21日

  一雄は1994年12月21日に仮出獄し、この日で29年目になる。また私たちが結婚して27年目の日でもある。午後1時半ごろ、埼玉のセッチャンから、胡蝶蘭が届いた。メッセージに「ご結婚記念日、おめでとうございます。いつまでも、お二人仲良く、お元気で。お体に気を付けてお過ごしくださいね。」と書かれていた。彼女と出会ってから20年くらいになるだろうか。毎年この日にプレゼントが届く。いまから60年以上前一雄がT製菓で働いていたころ、恋人(Kさん)ができた。一雄が一番幸せな青春まっただなかの時だったろう。セッチャンはKさんの姪で、一雄がとても大切に思っている人だ。これまで彼女は、埼玉・浦和での「3・11死刑判決糾弾集会」や、「5・23,10・31の中央集会」に来てくれていたが、この2~3年、体調を崩され、お会い出来なくなっていた。今年の10月31日、久しぶりに日比谷の狭山集会に来てくれた。遠くから彼女が手を振ってくれたが、マスクをし、少し痩せられていたので私はすぐにはわからなかった。一雄はすぐにわかったようだ。

どんなになっても狭山の方を向いて歩く

この日、山梨からもメグさん、トリさんが来てくれた。お二人とも体調はよくない。トリさんは余り外に出ないそうだが、狭山の集会だけは元気になって来てくれるという。3人に会えたこと、85歳の鎌田さん、84歳の一雄が、最後までデモ行進の先頭に立って頑張ったこと、お天気にも恵まれて、なにもかもうれしかった狭山集会だった。そのようなことを思いだしていたら、午後6時半ごろ、レターパックが届いた。メグさんからだった。(*^-^*)  お手紙と署名、古代米が入っていた。「~16日に水戸さんと金城さんが多田瑶子反権力人権賞を頂いたのでお祝いに行ってきました。一雄さんは既に頂いている賞。感慨もひとしおでした。~狭山の署名用紙を持って行き、署名を集めてきました。すでに「もうやったよ」と言う方が何人もいて、さすがこの会だと思いました。~古代米一緒にお送りします。~どうかご無理をされずに、お身体一番で良き年をお迎えください。~夫も来年5月の狭山集会に行けるよう頑張ると言っております。どんなになっても狭山の方を向いて歩いて行くことでしょう。~一部抜粋}と書かれていた。沖縄の金城実さんや、たくさんの方から署名を頂いていた。
ちょうどこの日に届くように送ってくださったのだろう。

来年こそは念願成就に

 12月21日、福島県のFさんからメールが。メールの最後に「~来年こそは念願達成となりますよう、遠方より祈っています。~一部抜粋」と結ばれていた。
20年ほど前、真宗大谷派の仙台教務所から現調に来て下さった時に彼女と出合った。翌日、京都で女性部の学習会があると、一足早くに帰られた彼女を、朝早くに狭山市駅まで見送りに行った。その後毎年、真宗大谷派の仙台教務所に狭山の訴えに呼んで頂くようになったので彼女とも毎年お会い出来た。この3年ほどはコロナ禍で出かける事が難しくなり、お会いできていなかったが、全国各地で、素敵な多くの出会いがあり、今がある。

必ず底力がでます

 12月20日、栃木県のFさんからお米が送られてきた。「早智子さん、一雄さん元気ですか?那須野が原のコシヒカリです。私の友人の作です。開拓の水田作です。必ず底力が出ます。」

 ”那須の空 念(ねがい)が届け 狭山地へ” 功

と書かれていた。

 皆さんにいっぱいのありがとうを。