2024年2月23日

朝からみぞれ交じりの雪
寒い。今日(23日)は狭山情宣行動が全国各地で行われ、また大阪では「第8回狭山事件の再審を実現しよう市民のつどいin関西」が午後から行われる。
9時半ごろ、狭山市駅に。「狭山事件を考える入間地区住民の会」主催で、川越駅と狭山市駅で10時から毎月23日に交互に情宣活動が続けられている。今回は狭山市駅での情宣。
9時40分ごろからボードやさまざまな狭山の横断幕、マイク等持った人が集まってきた。
このころから吹雪のような雪に。

   

10時、住民の会・会長の武井さんがマイクを握る。長く狭山を闘い、闘いを支え続けて下さった武井さんに続き、副会長のDさん、「狭山事件を考える入間住民の会メルマガ」を毎月発行してくださっているNさん、次々にマイクを握る。手の感覚が無くなるような寒さなのに、不思議と寒さを感じない。熱いアピールや、皆さんの「署名をお願いします」「ビラを読んでください」の声が狭山市駅に響く。この寒さでは署名もビラを受け取ってくれることも難しいだろうと思っていたが、逆にポケットから手を出し、ビラを受け取ってくれる人が多かった。
「以前署名をしました。狭山の本も読みました。具体的に何もできないことを心苦しく思っています。カンパをしたい」と5000円頂いた。こんなにたくさん頂けない」と固辞したが、「是非受け取ってください」と私の手を握り返してくださった。また、署名板を持っていた他の人も1000円のカンパを頂いたそうだ。びっくりしたのは、先日2月19日~20日「部落問題に取り組むキリスト教連帯会議」で狭山学習会、現調、高検・高裁に要請行動を取り組んで下さった狭山教会のN牧師さんがニコニコしながら現れたこと。最近狭山教会に異動してこられたN 牧師さんは2回目だそうだ。また、千葉県から「住民の会」のKさんが来てくださったことだ。Kさんは各地で開かれている狭山の闘いを追いかけるように集会や学習会に参加して下さっている。
61年目の狭山の闘い。狭山と出会ったり、何かのキッカケでまた狭山にかかわって下さる人が増えていることうれしい。

   

情宣行動の間、吹雪のような雪の中、道路に向かってボードを真っ直ぐ頭上にかかげ立ちつくしていた武井さん。その横にはおつれあいさんが。副会長をされているDさんがフェイスブック「狭山事件の再審を実現しよう」にさっそく投稿されていた。寒さの中19人が参加されていた狭山市駅の情宣行動や、各地での情宣行動。皆さんありがとうございました

12時過ぎ、広島からIさん、Hさんが来て下さった。本当は「狭山差別裁判打ち砕こう」を作曲して下さった作田晃さんも一緒に来て下さる予定だったが、体調を崩され、来られなくなった。半世紀以上、闘いの中で歌い継がれてきた「狭山」の歌。お会いしたかったが、もう少し暖かくなったらお会い出来る事を楽しみにしている。
私は徳島にいる時、40数年前にお二人にお会いしている。Hさんは解放同盟・徳島県連主催の学習会の講師に。Iさんは当時自治労中央本部の専従役員をされていた。40年以上前、広島から東京に専従の役員として出向くことは、困難なことだったのではないか。女性の専従役員は少なかったと思う。Iさんは私たちの単組(国保労組)に学習会の講師として来て下さった。お二人の事は強烈に記憶に残っている。労働組合運動、部落解放運動、女性解放運動に取り組み始めて間もない頃の私にとって、自分の道を、真っ直ぐに進まれているお二人はキラキラと輝いていた。
運動の先輩にお会いできることがうれしかった。一雄が獄中にいたので、わからなかった闘いや、彼女たちの体験をいっぱいお聞きしたいと思っていた。5時近くまで話し続けた。

 この日は大阪で「第8回狭山事件の再審を実現しよう市民のつどいin関西」の集会があった。そのことも気になっていた。Yさんがリアルタイムでメール・写真を送ってくださった。このこともうれしかった。大阪は雪も降らず、たくさんの人が来て下さったそうだ。

とてもいい一日だった。