2024年4月6日、徳島からメールと電話があった
「今日の徳島新聞『鳴潮』に狭山が書かれている」と
 sinobaru

この歌は1966年に作った
1963年5月に別件逮捕され、1964年には半年のスピード審理での「死刑判決」
獄中で三鷹事件の竹内景助さんや、短歌の先生、一雄に文字を教えてくれた看守さんと出会う
無知だったために自分が警察や検察に騙され
「うそ」の自白をしたことの後悔や無念、怒り
その中で
苦闘しながらも一字一字文字を取り戻していく喜び
何かにつけ思い出す母への募る恋しさ
「負けるもんか」との闘い、思いの中で
過ごしていた日々

 4月6日、加須での集会から帰ると徳島でともに労働組合運動や狭山を闘った友人から記事がメールで送られてきた。
今年も5月11日、現調に来てくれる徳島の同志がいる。