近況   2024年8月20日

 しばらく徳島に行き、8月18日、狭山に帰ってきた。
毎年8月には徳島に帰っている。
コロナ禍の前は「狭山事件を考える徳島住民の会」主催の「狭山・夏の交流会」があり、それに参加していた。
一雄は徳島が大好きだ。母がいた頃は母に会うことが目的だった。
海で泳いだり、潮干狩りや、ブドウ狩り、バーベキュー等、一雄は、これまでできなかったことを、徳島でいっぱい経験した。
映画の撮影(SAYAMAみえない手錠をはずすまで)で、金監督、カメラの池田さん、徳島の友人たちと、剣山に登ったり、川、海等あちこち撮影に行った。

足利事件の菅家利和さんとは一緒に阿波踊りを見に行った。
布川事件の桜井昌司さんが「四国88か所巡礼の旅」をされていた時、ちょうど徳島に行っていた私たちと一緒に食事をしたことも。

一雄は阿波踊り見物が大好きだ。心が浮きたつという。毎年のように阿波踊りを見に行った。
徳島には多くの友人がいる。狭山、労働組合運動を闘った同志だ。

 8月15日、阿波踊り最終日、徳島新聞のインタビューがあった。ずっと狭山記事を書いて下さっているK記者、以前狭山記事を書いて下さったS記者が待っていてくださった。
これまで共に狭山を闘ってきたSさんが徳島新聞社まで乗せていってくださった。
Sさんがいたから、「今私は狭山にいる」と言っても過言ではない。ずっと被差別部落出身を隠して生きてきた私に「一緒に闘おう」と背中を押してくれたSさん。もう50年近い付き合いだ。

 地震があったり、台風があったり、徳島の新聞は阿波踊り一色のようであったので、新聞に載るのは遅いだろうと思っていたら、18日に掲載され、驚いた。フェイスブック「狭山事件の再審を実現しよう」に早速掲載された。徳島からSさんや姉、以前同じ職場にいたNさんがメールをくれたり、記事を送ってくれた。
18日の「論説委員の目」、「鳴潮」に掲載され、そして「読者の手紙」にSさんが投稿されたそうだ。採用されるかどうかは未定だそうだが。感謝。感謝。

徳島は今レンコンの花が咲き誇っていた。

徳島新聞8月18日掲載の「論説委員の目」「鳴潮」はフェイスブック「狭山事件の再審を実現しよう」に載っています。