近況 2025年2月13日
2月11日、保護司さんから電話があった。「一雄さんにしばらくお会いしていないので、明日伺いたい」と。少し驚いた。保護司さんには昨年末からの病状等報告し、今もベッドでの生活が続いていることも報告している。本当なら1月17日に保護観察官との面談だったが、12月31日、徳島で一雄が救急搬送され、そのまま入院したので、観察官との面談を延期してもらっていた。きっと、保護観察官から、要請されたのだと思うが、保護司さんはボランティア活動のようなものだが、責務だけは負わされているのだなと感じた。12 日、保護司さんが来られたが、ベッドの一雄に「大事にしてください」と言ってすぐに帰られた。
12日、福岡・添田の皆さんからお手紙や色紙に書かれた寄せ書きが届いた。添田の皆さんが1月下旬に現調に来て下さっていたが、お礼の挨拶もできなかった私たちに河西さんやMさん、そして青年部の皆さんからの温かいお手紙や寄せ書きに、ただただ感謝だ。
2月11日、埼玉の「さいたま共済会館」で開かれた「再審法改正を速やかに!埼玉県議会での意見書採択を目指す県民運動」の集会は立錐の余地がないほど、多くの人(220人)に参加して頂いた。その中心になったAさんやスタッフの皆さんの熱い取り組みがあったからだろう。お忙しいAさんからトマトや、手作りのおかき、Hさんから「フキノトウ味噌」、東京のGさんとお連れ合いのリーさんからピクルスと手作り味噌、素敵なブリザートフラワーも頂いた。なにより参加者皆さんからの温かい応援がうれしかった。
昨年までは毎日2~3通のお手紙や、はがきを出していたが、今年になってからは1通しか出せていない。たくさんの年賀状や、M・三千代さんから頂いたカレンダー、東京の京子さんからスカーフや、家令裁判長あての切手が貼られたハガキ、埼玉の邦子さんたちから送って頂いた署名、徳島の国保労組女性部からの寄せ書き等。ごめんなさい"(-""-)"
驚いたのは2月8日、兵庫県からMANAMIさんが、大きな段ボール箱2つと、クーラーボックスを持ってきてくれたことだ。この日は一雄が1時半に予約していた病院に行く日。病院に行こうとドアを開けると、30分前にはなかった大きな荷物がドンと置いてあり驚いた。現地事務所に行くと、一台の車があった。すぐに電話すると食事中でまだ近くにいてくれた。チャイムを押したそうだが、私たちは2人とも耳が聞こえにくく、気がつかなかったのだ。私たちは病院に行くため、現地事務所でほんの少し、お話をしただけでお礼も言えなかった。兵庫から一人で車で狭山まで来るという彼女を心配してお連れ合いのSさんが運転して来て下った。「東京に住んでいる子どもの家から狭山まで、一時間で来られるので、いつでも呼んでね。できることもできないこともなんでもするから。」という彼女に「ありがとう。今は大丈夫。ほんとに助けてほしいときはお願いするから」と・・・申し訳なさでいっぱいになった。
62年目に突入した狭山の闘い
皆さんの闘いに支えられた狭山闘争・石川一雄
一雄が「5月23日の狭山市民集会には行く」と言う
「何としても生きて狭山勝利を掴み取る」との一雄の一念がある
今狭山が動いている
今朝、現地事務所の桜の木にメジロが2羽来ていた