死刑判決から61年をむかえてのメッセージ

書類の整理をしていた時、2001年3月11日の石川一雄のメッセージを見つけました。
 以下は、今から24年前の「3.11」メッセージを一部抜粋したものです。
 「今から37年前の3月11日は私にとって重大、且つ憤りの耐え難い無実の罪で『死刑』を宣告された日だ。自分の置かれている立場を気づかされたのは、死刑判決後さらに2か月位先であった。部落解放同盟が救援活動に入ってきて『一人は万人のために、万人は一人のために』という合言葉が、狭山闘争の精神として叫ばれ、労働組合、民主団体等への共闘も呼び掛けられるようになったのは、私が少し読み書きができるようになった1969年頃からであったが、まさかこれほど長い年月を闘うなど考えてもみなかった。かの時、裁判官が証人、証拠物件調べ等を却下せず、誠実に審理してくれていたとしたら,或いは弁護団は、それらの過程に於いて私を『犯行現場』に立たせるための申請をしたかもしれない。他方犯人でない私は説明できなかった筈だ。それ故に司法当局は冤罪の馬脚をあらわされるのを恐れて、半年間のスピードで『有罪』の『死刑』判決を強行したのだ。 此の37年前の出来事を思い浮かべると衝撃でペンが震え、無知、無学の恐ろしさを痛切に感じ、警察の甘言に乗ってしまった自分を責める。
 断崖絶壁に立たされ、『死の窮地から抜け出るのは、文字を覚え、全国の人に真相を知ってもらうしか道はない』と刑務所の中で生死を賭けて取り組んだ結果、奪われた文字を獲得することはできた。しかし、例年3月が近くになると無念の思いが募る。~
しかし、私は権力犯罪・差別裁判が世の人々の前に明らかになるまで闘う。何度も司法当局に裏切られた当事者として、司法に幻想を抱いていないが、次々と新証拠も出てきているので、望みを繋ぎ、一歩一歩司法機構を追い詰めていく決意である。『良き日が必ず来ると信じて』」

 このメッセージを書いてから24年が過ぎました。石川の思いはこの時と変わらずあります。
 うれしかったのは、2月19日、埼玉県の2月定例県議会で「再審法改正の意見書」が県議会全会一致で可決されたことでした。この意見書の中には「狭山事件」についても「えん罪の可能性を指摘する声が強く上がっている」と踏み込んだ記述もあります。狭山事件発生の地元埼玉県議会で意見書が採択されたことは、大きな光であり希望です。多くの皆さんが力を結集され、闘い続けてくださったことに心から感謝しています。今後、各市町村にこの闘いをつなげていってくださることを願っています。
 3月4日に開かれた三者協議も弁護団や、皆さん方の支援、闘いによって、光が見えてきました。
 一雄は、昨年末、体調をくずし、緊急入院をしましたが、「何としても生き抜き、えん罪を晴らす」の一念で生きる闘いを続けてきました。現在は回復に向かい、ホッとしているところです。
 「5月23日の狭山央集会には日比谷で皆さんとお会いしたいと、伝えてほしい」とのことです。
 本日はお忙しい中を3・11集会にご参集くださりありがとうございました。
                             2025年3月8日

石川 一 雄 石川早智子

  追記
 61年目の3.11「死刑判決」糾弾の集会に一雄は参加できませんでした。
 上記は2025年3月8日、埼佛会館で『袴田の次は狭山だ!狭山事件の再審要求・埼玉集会』に出したメッセージです。
3月8日は会場に入りきれないほどの参加(120人くらい)があったとAさんからメールを頂きました。マスコミも多く来てくださったそうです。今日(3月9日)の毎日新聞・埼玉版にも詳しい記事が掲載されています。
今私のパソコンは調子が悪く、スキャナーができなくなっているので、残念ながら記事を掲載できませんが、うれしいメールでした。
しかし、闘いの中で、光が見えてきたとはいえ、一雄が、2001年に出した3・11メッセージと あまり変わらない状況にくやしさも募ります。
 一雄は「5月23日の『狭山中央集会』には出られるように頑張りたい」と目標をもって闘いを続けています。
 大きな世論で狭山を動かせてくださることを心から願っています。