近  況     2025年7月3日

 パソコンの調子が悪く、7月2日、パソコンの先生にみてもらった。来られてすぐに祭壇に手を合わせ、黙ってハグしてくださった。先生との出会いは2000年当初。パソコン教室に通いだして、2000年5月「えん罪狭山事件」を立ち上げた。それから25年。1年に2回くらい、パソコンを見てもらっている。困ったときは電話で、教えてもらいたいことがあれば、書き溜めておいて、まとめて教えてもらった。私がこれまで続けられたのは先生のおかげだ。

 7月2日、福岡・添田の千津美さんから添田のおいしいお米や野菜等たくさん送って頂いた。お手紙に「早智子さんが添田に来られるのを待っています。おいしいものを食べに行きましょう。仲間たちが待っています。(一部抜粋)」と書かれていた。
 7月1日、「狭山事件の再審を求める豊中市民共闘会議」のMさんからお手紙と『畳縁のZIP小銭入れ』が届いた。温かい長いお手紙だった。
 6月30日、東京・赤羽の敦子さんから自然栽培の甘くて大きな『ブルーベリー』が。眼の調子が良くない私に黙って送ってくださった。
 6月30日は埼玉県の「県南支援する会」の現地調査。現地事務所の祭壇と両親の眠る墓前に花のお供えを。
 6月25日 福岡県の一条解放子ども会の皆さんから「5.23石川一雄さんとともにたたかおう集会」の時の皆さんからの寄せ書き。
  25日、大阪・住吉のHさんとSさんから102筆の署名が。Sさんからのお手紙に「2019年2月17日、『狭山事件の再審を実現しよう!市民のつどい』で石川ご夫妻の真ん中でピースマークしているのが私です。『私の宝物です』」と書かれ、写真のコピーも送ってくださった。写真を宝物として大切にして下さっている人がいる。
毎月お手紙を下さる千葉のKさん、いつもハガキで励ましてくださる熊本の淳子ちゃん。
それらを読ませていただきながら、一雄の身を削りながらの闘いが皆さんに温かく迎えてくださっていたのだと、とても胸が熱くなる。

6月27日、2月から中断していた歯医者に行った。振り返れば2月12日一雄と一緒に歯医者さんに行ったことを思い出す。

今短歌の整理をしようとしているが進まない。一雄は、集会に行ったり、現調に来てくださった皆さんへの思いを短歌にして色紙に書いていた。その短歌をホームページに載せるためにA4の用紙に書き直してくれたものだ。およそ18年位のもの(段ボール箱1箱分位)が残された。それを年ごとに整理したかったのだが、一枚一枚に思い出があり、思いがある。一雄は、その時その時の思いを歌に託し、自分を励ましていたのだろう。短歌を詠み続け、自分の闘いの歴史を刻んでいたことがよくわかる。

雨が降らない限り、毎朝愛犬ココちゃんと散歩に行く。途中ひまわりの花が咲いていた。