2025年11月23日
狭山市駅で「狭山事件を考える入間地区住民の会」の「23ビラ情宣行動」
23日には、川越駅と、狭山市駅で毎月交代で10時から11時まで、ビラ情宣行動が続いている。
9月から、署名台を設置、のぼり旗を新たに2本掲げた。通りかかる人も署名がしやすいのか、署名台で署名をしてくださる。
比較的温かい日だった。9時45分に狭山市駅につくと、はや情宣していた。千葉のKさん、所沢のIさんも駆けつけて下さっていた。
連休中の真ん中、それでも全国各地で狭山23情宣行動が続けられている。ただただ感謝だ。
この日、10時半ごろから「解放新聞全国版新年号のインタビュー」13時30分から東日本研究所、東京の青年共闘の皆さんの現地調査とあったので、短い時間しか情宣行動ができなかった。
「狭山事件の再審を実現しよう」フェイスブックで各地の23デー情宣活動の報告がされています。
23日、10時40分頃から12時半ごろまで解放新聞新年号のインタビュー。
1985年11月23日、一雄の父富造さんが87歳で亡くなって40年目の日だ。毎朝、ココちゃんの散歩の時、お墓に行くが、今朝も「今日は一雄のいないインタビューだよ」と報告してきた。
毎年私の誕生日には手紙とプレゼントを忘れなかった。最初のプレゼントは腕時計だった。29年前だ。その腕時計を久しぶりに出し、インタビューに手紙と一緒に持って行った。沢山の短歌も紹介した。一雄はとても感性豊かで闘いだけでなく、自然もいっぱい詠んでいた。星や月を見るのが好きだった。「今日は月がきれいだよ。まん丸だよ」と、パソコンの前に座っていた私によく教えてくれた。「私が苦しいことは皆さんよくわかっている。だから言わない。
裁判以外ではご心配、ご迷惑をおかけしない」「過去は振り返らない。振り返れば苦しいことばかり。振り返るのは勝利してから。今は前進あるのみ」彼は何時もそのように言い、それを実行していた。しかし、短歌では苦しい胸の内も吐露していた。強い意思を持っていた。
徳島では、山に登ったり、海で泳いだり、潮干狩りや、ブドウ狩りをした。よく食事に行った。この3年ほどは食事の後に「デザート」まで注文していた。姉夫婦、弟夫婦、そして私も驚きながら「おしいしい、おいしい」と食べている一雄を見てとてもうれしく、楽しかったことなどを思い出した。徳島が大好きだった。
毎年、年末から1月中旬位迄徳島に行っていた。もうすぐ12月。「徳島に何時行く?」と聞く一雄はいない。
一雄、今年はココちゃんと一緒に狭山にいるよ。
午後1時30分、東日本研究所と東京の青年共闘の人たちの現調。
集会所で交流。学生さんたちがたくさん来て下った。
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東京から来てくださったMちゃん。彼女と出会ったのは、彼女がまだ中学生位のころだったと思う。彼女のお母さん(Sさん)が、一雄が東京拘置所にいた時、「大学生だったSさんが毎日のように面会に来てくれた」と一雄がよく言っていた。この日、Mちゃんが子どもさん(20歳くらい?)と一緒に来てくれた。
一雄がいたらどんなに喜んだだろう。あれから20数年になるのだ。
午後2時過ぎ、兵庫県からKさん親子が現調に来てくださった。「22日と23日に埼玉で他に集会があったので、せっかくなので息子と狭山現調をしたいと思い、来ました。」と話してくださった。集会に参加された人からのカンパを頂いた。ありがとう。
インタビューはまだまだ厳しいものがあるが
沢山の人に出会えた
現地事務所に生っているイチジクを採った
「一雄、去年4月に一緒に植えたイチジクだよ」
今年植えたツワブキの花も3輪、満開だった
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