近 況   現調 (12/7) 2025年12月13日

 2025年12月13日、うれしいニュースが届いた。
12月10日、「再審法改正は議員立法で」と沢山の人が国会前に集まり、声を上げた。
私も「今の再審法では、再審開始決定が出ても、検察の抗告(異議申し立て)によって、私が生きて夫の冤罪を晴らすことは難しいと思われる。いつか一雄に会った時、笑顔で報告したい。何としても今国会中に再審法を議員立法で改正してもらいたい」と訴えた。
その後、「再審法の改正を議員立法で早期に実現」することを国会議員にお願いに回った。
午後4時過ぎ家に帰り急いで国会中継を見るとれいわ新選組の大石あきこ議員の質問の時間だった。10分以上再審制度について質問し「狭山事件の石川一雄さんは再審制度の不備の中、冤罪が晴れず亡くなった。妻の石川早智子さんが第4次再審を引き継いでいる。証拠開示や、検察の抗告を禁止するための議員立法による再審法の改正が重要」、と高市総裁に扉を開くよう強く迫ったが、高市首相は「議員立法の国会での扱いに意見をすることはない」と短く、冷たく言い放った。しかし、国会の中で狭山・石川の名前もだし、長い時間再審法改正を訴えてくださった大石議員。とても力を頂いた。
そして、今日13日、ネットを見ていると、自民党の稲田朋美議員が、11日、衆院・法務委員会で、再審法改正をめぐっての平口洋法相の答弁に「今のではだめ。法制審議会の部会で進む改正議論でなく、再審請求審での広範な証拠開示の義務化を盛り込んだ超党派議員連盟案に沿った改正を行うべきだ」と平口法相に、求めた、とあった。
とてもうれしかった。稲田議員の下には10日、「再審法改正を議員立法で」と、お願いにいったばかりだった。予算委員会に出席されていた稲田議員は不在だったが、秘書のWさんが「必ず議員に伝えます」と話して下さっていた。その夜、Wさんから「議員に伝えました。議員も『本腰をいれて取り組まないと』と話されていました」と連絡を頂き、とてもうれしかったのだが、早速このような形で再審法の改正について国会で追及してくださるとは思ってもみなかった。
力がわいてきた。


12月12日 東京のGさんご夫妻が狭山まで来てくださった。多分一番多く狭山に来てくださっている。
いつも狭山署名を送ってくださり、お手紙には「私たちは署名を集めるのが生きがいのようになりました。一日でも早く冤罪が晴れ、早智子さんの笑顔に会いたいです」とのお手紙も。
東京から10時ごろ来てくださったお二人。現地事務所で一雄の霊前に手を合わせ、ステキな花束を頂いた。
リーさんの手作りの味噌。一雄が大好きだった。「これがあれば毎日豆腐がおいしく食べられる」と言っていた。手作りのスープや干し芋。遠くから来てくださったお二人の笑顔。温かいね。


 一雄は、段ボール箱2箱に短歌を残した。現調や、集会に行ったとき詠んだ短歌を、私がホームページに載せるためにA4の用紙に書き直してくれたものだ。
残念なことに短歌を書いた年月日を書いてなかった。いつか膨大な短歌を皆さんに詠んでもらいたいと思い、整理していたがなかなか進まない。短歌の一つひとつに一杯の思い出がある。文字が太すぎたり、細すぎたりしたら、何度も書き直してもらった。だまって書き直してくれた。
以前、ホームページから短歌を拾い出し、まとめて下った越谷のMさん、加須のAさんに手伝ってほしいとお願いした。12月8日、朝10時頃から午後4時頃まで作業をしてくれた。半分近く、整理できた。
ホームページに載せていない短歌も一杯あった。「後の作業もいつでも大丈夫なので言ってください。なにかできることがあればうれしいです」と言ってくれたお二人。
時間がある時は、毎日短歌を見ながら過ごしているが、思い切ってお願いしてよかった。ステキな花束や、惣菜等手伝って下さるのに一杯持ってきてくれた。
本当にありがとう


 12月7日は群馬県民共闘会議から42回目の現調だった。
昨年2024年12月15日の41回目の現調の時は、一雄が集会所で挨拶をした。その時のことを思い出し、お礼のあいさつも十分できなくて申しわけなく思った。
一雄がいなくなっても変わらず支援し続けて下さっている皆さん。心から感謝している。