徳島新聞 2026年1月19日 
 

2026年1月18日、徳島県・藍住町の藍住町総合文化ホールで「SAYAMA みえない手錠をはずすまで」の上映会と講演会があり、1月17日から19日まで徳島に帰った。
一雄は飛行機に乗らなかった。万が一事故があったら、生きて闘うことができないとの思いだった。
生きる闘いを徹底してしていた。久しぶりに飛行機に乗った。羽田から徳島まで1時間で着く。やはり早い。
徳島で2泊。悩んだのはココちゃん(愛犬)のこと。東京に住む姪が「18日に狭山に来て、1泊して狭山から職場に行くから大丈夫。心配しないで」と言ってくれた。
埼玉のAさんからは、「16日から20日までココちゃんを預かるよ。迎えに行くから。それとも食事だけあげに行ってもいいよ。」と連絡を頂いた。みんなに迷惑をかけているのに、みんな温かい。みんなに感謝だ。
18日、沢山の人に会場に来て頂いた。小学校・中学校と一緒だったMさんがお土産をもって来てくれた。このことが一番うれしかった。子どものころちょっぴりいたずらっ子のようなかわいい子だった。20年以上前鎌田慧さんの「狭山事件ー石川一雄 41年目の真実」の本が出されたとき、Mさんから突然手紙とカンパが送られてきた。本を読み「石川一雄の妻・徳島出身の早智子さん」と書かれていたのをみて、「これは同級生のさっちゃんだ」と確信したそうだ。彼には地区・地区外という垣根がなかった。あの時もうれしかった。今回もうれしかった。
徳島新聞に告知記事が載ったこと。徳島新聞がこれまで何度も狭山記事を掲載してくださったこと、鎌田慧さんが徳島に来る度に「狭山」を話して下さっていたこと、そして徳島の仲間たち、以前働いていた職場の人も徳島を離れて30年も過ぎた私に会いに来てくれた。
みんなのおかげで盛況だった。

うれしくなって、楽しくなった。
故郷はいいなぁ。
職場の労働組合で、共に狭山を闘った仲間たちも来てくれた
今、狭山にいるのはみんなのおかげだ。
映画の中で一緒に「剣山」に登った人たち、久しぶりに会えた。
今回は一人。
一雄がいたらどんなにか喜んだだろう。

19日、飛ぶような気持ちで狭山に帰った。
ココちゃんは元気だった。
姪から「ココちゃんは元気だよ。ウンチもしたし、おやつもおいしそうに食べてたよ」
ココちゃんの写真とメールが送られてきていた。
姪は18日(日)仕事から帰りの夕方にきてくれて、19日、朝6時過ぎの電車で職場に行ったそうだ。
狭山に帰り、すぐココちゃんの散歩に行った。
落ち着いて一雄の祭壇を見ると、「ケーキ🎂」があった。
びっくりした。
一雄の誕生日は14日だが姪の「一雄さん、遅くなったけど誕生日の🎂だよ」
とメモ書きがあった。いっぱい涙がこぼれた。
今、急な政局で、そのまっただ中の職場で忙しく、それでも無理してきてくれたあっちゃん。
加須のAさん、徳島の加治さん、徳島で、そして今もずっと一緒に闘ってきた
坂本さん、まっちゃん 加代さん。
皆さんありがとうございました。
心引き締めて、闘う決意を改めて誓いました。