近況と集会

 2026年1月23日 寒い一日だった。「入間住民の会」の皆さんが狭山市駅で10時から11時まで、毎月の狭山情宣行動が行われた。川越駅と狭山市駅で交互に行われている情宣行動。毎月多くの人によって続けられている。署名判を持っていると、沢山の人に声をかけて頂いた。20歳位の青年が、何度も「何もできなくて申し訳ない」と言った。「署名をしてくれて関心を持っていてくれるだけでうれしいです。」と言うと、「ありがとう」と。また狭山事件がまだ終わっていないことに驚く人もいた。カンパをしてくだった方も。設置した机に、署名用紙や、ビラを置いているが、どのようにしたら署名をたくさん頂けるか、いろいろ工夫し、重い机や、沢山の幟旗等を毎回用意してくださり、熱い思いで情宣行動に駆けつけてくださる皆さん、本当にありがとうございました。事件発生から63年目、石川一雄がいない狭山闘争に、全国各地で狭山情宣行動が続けられている。ただただ感謝だ。

 1月25日、狭山市冨士見自治会館で「拡大狭山闘争本部会議」「狭山闘争支援団体新年交流会」が開かれた。昨年の新年交流会は2月2日だった。一雄は参加できなかったが私が出かけるとき元気に「お世話になっているみなさんによろしくお伝えしてくれ」と頼まれた。一雄のいない初めての新年交流会だった。政府・自民党の党利党略で、1月23日、国会開催日の冒頭解散、27日公示、2月8日投票という日程が決まっていたが、それでも多くの人に駆けつけて頂いた。初めて参加してくださった方も多く、「一雄の無念を晴らす」との参加者の気持ちがひしひしと伝わってきた。胸が熱くなった。

 1月28日~29日、徳島・あわぎんホールで、「第46回部落解放・人権徳島地方研究集会」が開かれた。

   
全体会場入口に狭山パネルと署名用紙が  全体集会で私の挨拶の時一雄の写真が 

2日間とも徳島で、労働組合、部落解放運動を共に闘ったSさんが送迎してくれた。50年以上共に闘ってきた同志だ。よく考えると彼がいたから、私は今狭山にいて、私の生きたい生き方ができたように思う。徳島で多くの人に支えられ、共に闘い、学び、共に苦労もし、また喜び、楽しんだ。
全体会場には狭山パネル、一雄の写真、署名用紙が置かれていた。うれしくて涙がこぼれた。
二日間は忙しかった。

28日全体集会終了後、私の出身労組である「国保労組」に安田聡さんと狭山学習会に行く。私が狭山に転居して30年、毎年徳島地方研究集会初日の集会後に学習会が開かれている。私が徳島にいた時から続いているのでもう40年以上になるのではないか。国保労組が私のバックボーンだ。
29日、「狭山分科会」会場廊下にも狭山パネル、署名用紙が。部屋に入ると、大きな一雄の写真が飾られており、やっぱりうれしくて涙がこぼれた。みんな温かい。

狭山分科会終了後、「第30回狭山事件を考える徳島の会」総会と狭山学習会。
この30回というのは、私が徳島から狭山に行った年月だ。私が狭山に行く時、「一雄さん・早智子さんの結婚を祝う会」を開いてくれた。沢山の人に祝ってもらった。その時住民の会結成が決められた。
選挙まっただ中で、お忙しい中を、住民の会代表の木村清志さん(弁護士)が駆けつけて挨拶を頂いた。木村さんは住民の会発足当時からずっと代表を続けてくださり、狭山弁護団の一員でもある。私たちは多くの人に支えらてきた。

 いつも思うことだが、闘いは非常に厳しかった。精一杯闘い続けたが、なかなか道は拓かれなかった。それでも私たちは幸せを感じてきたし、喜びも感動もいっぱい頂いた。この30年私たちは幸せな人生だった。私は、一雄から幸せや、感動をいっぱいもらった。
支援者のみなさんに感謝し、一雄にもありがとうと言いたい。一雄の闘いや、支援者皆さんの闘い、多くの人たちの温かい支えを決して無駄にしない。一雄が闘い続けた生涯、苦しくとも笑顔を絶やさなかった一雄の生き方を、私も忘れないよ。

沢山の人から署名も頂いたよ。滋賀のよっちゃんがKさんから頂いたという署名を送ってくださったよ。
徳島のみどりちゃんから署名を送って頂いた。東京のGさんからも。
ありがとうございました。