高裁前アピール  2017年2月2日

 朝のアピールは、北風が冷たく、心まで凍ってしまいそうに感じたが、それでもサポーターに来て下さった人たちの「おはよう」の声に力が湧いてくる。
 2月1日、布川事件の桜井昌司さん、足利事件の菅家利和さんが、「獄友」の映画撮影と、テレビ撮影の為、狭山に来ていたのだが、菅家さんは、2月2日、高裁前アピールに来るために東京で一泊し、高裁前に8時過ぎに来て下ってびっくりした。風邪気味だった桜井さんは、歌のリハーサルが2日にあるというので、1日遅くに帰ったので大丈夫かな~と心配していたが、2日、「音合わせはなんとか上手くいった」とメールが届いた。

 
 マイクを持つ石山さんご夫妻と石川

 東京、埼玉、千葉、神奈川、山梨、労働組合OB 曹洞宗、日本基督教団、フェイスブック「狭山事件の再審を実現しよう」管理人のMIKAさん等たくさんの個人、団体の人たちが来て下さった。高裁前に初めて来て下さったのは曹洞宗のWさん、神奈川・共闘のFさん、そして、1月13日横浜の市民講演会でご一緒した石山春平さんと連れ合いの絹子さん。一週間ほど前に石山さんから「2月2日の高裁前アピール行動に行きます。狭山の再審が開始されるよう、共に闘う」とご連絡を頂いたが、「寒いので風邪でもひいたら大変だから」とお断りさせて頂いたが、石山さんも信念の人、石川一雄と同じく頑固一徹とお見受けしたとおり、2日には来て下さった。

 
 「母が狭山事件に引き合わせてくれた」とミカさん

 多くの人がマイクで訴える。この日74歳の誕生日の埼玉のSさん
 この日が母の命日というMIKAさんが「母が狭山事件・石川一雄さんに引き合わせてくれた。母が亡くなって抜け殻のようになっていた私が、高裁前でアピールしている石川さんに出会って、狭山事件の存在を知った、字が読めない人がいたこと、部落差別による冤罪事件であることなど知り、ハンマーで殴られたような衝撃を受けた。それからはフェイスブック等で狭山を拡散している。石川さんの再審を開始して下さい」等、切々と、熱い思いをこめて語った。彼女が、狭山と出会ったのは2012年2月だったそうだが、今は東京、埼玉近辺の集会等では必ず彼女の姿がある。高裁前に「鴨井」を持ち込んだり、パネルを作って下さったり、おそろいの狭山ハッピを考えたりと、彼女の新鮮で柔軟な発想にいつも驚かされ、感動している。
「狭山が生きる希望」と話して下さる彼女に、私たちが生きる希望も展望も頂いている。

    

  曹洞宗、そして石山さんのアピールも心に迫る。山梨のTさんが、友人のSさんと一緒に来て下さった。Sさんも初めての高裁前だ。
アピール行動の中休みには、高裁の休憩所でいつものティタイム。滋賀のNさんや、故櫻田さんのお連れ合い・Tさん差し入れの菓子、Yさんの手作りケーキ、義姉ウメコさん手作りのおにぎり等で力をつける。
 午後のアピール行動の時、女性が通りかかり「ずっと石川さんを応援していました」とカンパをしてくださった。この日は寒くて署名はあまり頂けなかったが、神奈川のYさんが今回も署名5筆と手作りケーキを沢山持って来て下さり、「仕事に行くので、9時までしかいられなくてすみません」と、申し訳なさそうに話す彼女にいっぱいの温かい思いを頂いた。風邪で、来られなかった東京のKさん、やっぱりKさんが来て下さるとうれしい。

   
先週から風邪気味の石川と高裁前で太陽のような存在のAさんと

 今回で第31次のアピール行動は終わった。多くの感動があった。間もなく31回目の三者協議だ。下山鑑定で石川無実は揺るぎ無いところまで来ている。あとは裁判官が事実調べに踏み切ると信じている。高検は抵抗しているが、54年も経った狭山事件の証拠を開示出来ないこと、これが狭山の真実・無実を雄弁に語っている。

長い闘いだ。病で倒れた人たちの思いと共にただひたすらに高裁前に立ち続けた。
「今度こそ」の思いをこめて・・・・・