「真実は一つであり、私の無実を明らかにするのは裁判長の『再審開始』の判断以外にない」何百回、何千回叫んだことだろう。4月20日、この日も石川はまっすぐに裁判所に向かってマイで訴える。
 埼玉、東京、群馬、神奈川、栃木、千葉、山梨、大阪、京都、曹洞宗のSさん・TOMOちゃん、日本基督教団、カトリック、フェイスブック「狭山事件の再審を実現しよう」MIKAさん、足利事件の菅家利和さん、東京清掃労組・人権交流会、神奈川からハンセン病回復者として、闘っている石山春平さんお連れ合いの絹子さん、神奈川のYさんは今日も手作りケーキを作って忙しい中を来て下さった。
 「法の精神と良心に基づいて事実調べを行って下さい」「人権の風を吹かせてください」「再審開始のお白洲を開いて下さい」「石川さんは公平な裁判を望んでいるだけです」皆さんの訴えが裁判所前で響く。

   

 石山さんの「石川さんに一刻も早く人生の春が迎えられるように。冤罪のまま人生を終わらせてはいけない。これは国家の犯罪だ」のアピールは裁判所の建物を揺るがすかと思えるほどの迫力だ。

   

 多くの人に、また遠くからも来て頂いた皆さんにただただ感謝の気持ちでいっぱいだ。所沢から来て頂いたYURIちゃん、「今日はあまり署名を頂けなかった」といいながら23筆の署名。

   

 日本基督教団東所沢教会から今回も来て下さったお二人「丹波さん(1月19日高裁前アピールに来る途中、病に倒れられ今闘病中)の思いと一緒に来ました」の言葉に思わず涙

   

 この日も石山さんご夫妻からアピール行動の合間にたくさんのお話を伺った。「結婚をするとき、『私のような障がい者でいいのか?』と聞くと彼女は『私は障がい者の石山でなく人間石山と結婚するのです』と言ってくれた。うれしかった。また意を決して、彼女の家に結婚したいと報告に行ったとき、彼女の母親が『娘が決めた相手だから』と言ってくれた。そして『娘は貧乏には慣れているから大丈夫。ただ一つの願いはいっぱいの愛情を注いで欲しいことです』と言ったので、私は『愛情は溢れるほどに満ちてます』と答えた。差別が厳しく、人間として扱われていないような時代にあって、彼女のお母さんの言葉は今も決して忘れない」と話された。お話を伺いながら、絹子さんの凛とした生き方、優しい笑顔は、お母さんから受け継がれているんだと感じた。
 石山さんから「カンパです。これは頂いたものですが、何か有効なことに使おうと思っていました」と多大なカンパを頂いた。高裁前に来るにも交通費がいるし、81歳という年齢、体の不自由さのなかにあって、高裁前に来て下さるだけでも大変な事なのに、頂けないと固辞したが、お二人から「受け取ってほしい」とのお言葉に甘えることに・・・・・・
 石山さんが「80歳を過ぎて石川さんとの出会いがあった。石川さんと共に闘えることに喜びを頂いている。もっと早くに出会いたかった」とおっしゃったが、出会いの期間が短くても長くても、出会ってからの中身だと思う。「石川さんと私は中身は違うが、差別で長い間苦しんできた。逆境の中生きてきた。それがバネになった。苦しみは深かったけれど、その苦しみがあって今がある。けっしてあきらめず、前を向いて生きてきた。だから石川さんの想いはよくわかる。妻と命を賭けて狭山を闘おう、と誓った。」と話された石山さん。「お互い、いい伴侶を得た」という石山さんだが、果たして石川の思いは・・・・・?