トリック大阪教会管区部落差別人権活動センターたより  2017年4月号で、フェイスブック「狭山事件の再審を実現しよう」の管理者 ノジマミカさんが、高裁前アピール行動や、ノジマさんがなぜ狭山再審の闘いに関わるようになったのかが、投稿されています。
それぞれにご了解を頂き、ここに掲載させて頂きました。(写真のみ変更) 

 「石川一雄さんは無実です。私はキリスト者だから、愛をもって訴えたいところだが、狭山事件に関しては怒りをもって訴えざるを得ない。私たちはもうこれ以上待てません。再審開始を求めます。」

  高裁前アピール行動隊 ノジマ ミカ

 東京高等裁判所の門前で、支援者のマイクアピールが響き渡る。これは日本基督教団の丹波二三夫さんのアピールだ。宗教者の集いやデモを企画実行してくれた、狭山には欠かせないキリスト者。今年最初の高裁前アピールがあった119日、向かう途中の電車内で脳梗塞で倒れて今も病床にある。お見舞いに行ったが意識も戻らない状態で、祈りの日々が続く。

 狭山事件の再審は石川一雄さん、お連れ合いの早智子さんだけではなく、長く闘ってきた仲間の悲願でもある。

私は8年前に母を医療過誤で亡くし、裁判を起こした。20122月終わり、忘れもしない初公判の日だった。はじめて行く裁判所、地下鉄の階段を上がるとビラを渡された。横断幕の文字が目に入る。『石川一雄さんは無実です 冤罪 狭山事件の再審を求めます』(冤罪?足利事件みたいな事が他にもあるの?狭山事件?知らないなぁ。聞いたことも無い。)マイクで誰かが訴えているが、自身の裁判のことで気持ちに余裕がなく、足早に通り過ぎてしまった。

 しばらく経ってから思い出し、受け取ったビラを見てみた。そこには、にわかには信じがたい事がたくさん書いてあった。部落差別って何?と思ったが、何より文字が読めない人がいたことに愕然とした。識字率99%を誇るこの国に住んでいて、残り1%の人に心を寄せること自体がなかったのだ。しかも49年も昔の事件で(2012年時点で)、未だに声をあげている人がいる。ハンマーで殴られたような衝撃だった。

 生来の探究心と正義感に火がついた私は、すぐに情報収集をして5月のフィールドワークに参加した。それまでに狭山事件の本を2冊読んで、無実ということは頭では理解していた。現地に行って無実を確信したのはもちろんだが、それ以上に石川一雄さん、早智子さんの優しく、屈託の無い人がらに魅了された。 何か行動しなくては、という思いが日に日に募り、思い立ってはじめたのがインターネットを使った情報発信だった。社会的な活動の経験ゼロ、人脈なし、人見知りで友達も少なく根暗な私には、この方法しかなかったのだ。

 何の知識も展望もない、今から考えれば無謀なスタートだった。しかしイメージはあった。今、運動はリアルタイムで情報を発信し、自然発生的に、しかし目的をもって人が集まる時代だ。アラブの春や反原発運動がそうだった。手探りではじめた狭山だが、最初の答えは数ヵ月後に待っていた。

 高裁前アピール、ここを活動の軸にしようと思った。

 狭山事件は2度の再審請求も、審理どころか話し合いの場すら設けられずにあっさり切り捨てられた。第3次再審請求で2009年に流れが変わった。当時の門野博裁判長が裁判所、検察、弁護団による三者協議を初めて開き、検察に8項目の証拠開示勧告を出したのだ。そして翌年、実に47年ぶりに逮捕当日に石川さんが書かされた上申書が開示され、再審開始に一筋の希望の光が差した。以降現在に至るまで三者協議が継続して開かれ、弁護団と検察との攻防が続いている。

 驚いたことに、石川一雄さんは当事者でありながら三者協議には参加できないのだ。そこでご本人の再審への思いや、声を司法に届けようということで始まったのが、高裁前アピールである。三者協議の日程に合わせて取り組まれている。石川さん、早智子さんはもちろん、支援者がたくさん集まって、狭山事件の再審が市民に支持されていることをアピールすることが重要だ。

  石川一雄さんは被差別部落に生まれたために、小さいころから家の手伝いや子守り奉公に出されて、学校にも満足に行けなかった。それは単に読み書きが出来ないにとどまらず、非識字者であるがゆえに社会に対してあまりに無知だった。権力はそこに目をつけて、手練手管で石川さんを罪に陥れたのだ。しかし忘れてはいけないのは 「部落ならやりかねない」とむき出しの差別を煽ったマスコミと、それに乗っかった市民がいたということだ。

 1審死刑判決の後、三鷹事件の竹内景助さんの助言や兄の六造さんにアリバイがあることがわかり、ようやく警察・検察による心の呪縛から逃れた。真相を知った時は本当に悔しかったと思うし、自分の運命を呪ったことだろう。それだけではすまない。このままでは確実に死刑台に送られてしまうという怖さは、とてもじゃないが安全地帯にいる私などは想像もつかない。

 この後石川さんは覚醒し、猛然と文字を学びはじめる。ここに無実を信じて、石川さんに文字を教えた刑務官の真摯な姿があった。そして獄中から火を吐くようなメッセージを送り続けた。 一方獄外では国が行った様々な差別政策に、心底怒りを感じた人たちが声をあげ始め、闘いが拡大していった。狭山差別裁判闘争とは石川一雄さんが、部落差別ゆえの無知から、学び、成長する過程そのものである。同時にそれに共鳴し、我が身のこととして学んだ人たちの成長の過程でもある。学びの勝利であり、私が狭山に惹かれ続ける理由がここにある。

  私はといえば、狭山に関わり、高裁前アピールに参加するようになって、たくさんの仲間ができた。石川さんと同じように被差別部落出身の方、幼いころ広島で被爆された方、沖縄、後にはハンセン病元患者やアイヌの方とも繋がるようになった。その人それぞれの、石川一雄さんと同じように、筆舌尽くせぬ過酷な背景があるのだと、胸が熱くなった。私は日本は差別が無くていい国だと思っていたので(今から考えたら本当に世間知らずも甚だしい認識だった)こんなに差別される人たちがいるのだと驚かされた。

 そして映画『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』の金監督と出会い、上映運動を始めた時、初めて自分も差別者なのだと気がついた。幼少のころから知らずに刷り込まれ続けていた在日を含めた朝鮮の人に対する蔑みは、それが差別と知らないままに、時に韓国や中国で反日の機運が高まったころ増幅されていった。金監督と上映運動を通じて心を通わせていくうちに、気持ちがほぐされ差別する事から解放されていく実感は言いようの無い幸福感だった。そして今までの差別していた自分を心底恥じた。

 社会運動の経験ゼロと書いたが、思い起こせば3.11の大震災後の福島原発事故で、次々と明らかになる国と東電の無責任体質に心底怒りが湧いてデモ情報なども調べていた。しかし運動特有の排他的な雰囲気を感じて、結局参加することは無かった。

 今から思えば運動の入り口が狭山で本当によかったと思う。
 それは「自分は差別者である」という、運動にとって、もっとも重要なことを認識せざるを得ないからだ。被害者になりたくないから運動するのと、加害者になりたくないから運動するのとでは、やることは同じでも、意識の上で天と地ほどの差が出るものだ。

 多くの差別は、国の差別的な政策から始まる。部落も、在日も、ハンセン病も、アイヌも、そして沖縄も・・・例外なく国が先導して差別したのだ。しかし、それを推し進め、直接/間接的に差別したのは他ならぬ市民、つまり私たちであること。「障害者が不幸なのではない、障害者差別が不幸なのだ」という言葉を重く受け止めなくてはいけない。

 こう見ていくと、狭山にかかわり続けて差別を知り、歴史を学び、現在に至るまで、私自身の成長の過程でもあったと思う。だからこそ、多くのまだ見ぬ仲間と繋がりたい、同じように狭山を通していろいろなことを感じてほしいと思っている。

 それにはどうしたらいいのか、言うまでもなく裁判闘争は重要であることに変わりは無い。しかし、それ以上の何か、狭山の持つ豊かさとか暖かさとか、「熱と光」をもっと伝えなければと思っている。

 私が作成しているフェイスブック『狭山事件の再審を実現しよう』というHPでは、いろいろな取り組みや三者協議の事なども書くが、高裁前アピールのことがメインとなっている。

 何といっても高裁前アピールは楽しいのだ。本来なら「充実している」とか「貴重な取り組み」とか表現すべきなのだろうが、やはり「楽しい」方がより近いのだから仕方がない。「9時までしかいられないけど」といって仕事前に手作りケーキの差し入れを持ってきてくれる人、義姉のウメ子さんが来るときは、休み時間にこれまた自家製のおこわや惣菜などで、おしゃべりに花が咲く。もちろん食べものネタばかりではない。

 20,30年前の石川さんが獄中から宛てた手紙を、宝物のように持ってきて見せてくれる人もいる。他の運動体のアピールに来ていた人が「学生時代に日比谷公園に通った日々から40年以上、いつまで石川さんを待たせるのか?!」と思いがけず共闘アピールを下さる方などと出会えるのが楽しみだ。『獄友』の連帯アピールはやはり目を惹く。

 多くの宗教者の皆さんも来て、様々にアピールをする。冒頭にも書いたが、これはすごいことだと思う。宗教も宗派も超えて、共に闘うのだから。また教職者も多い。日の丸・君が代裁判を闘う人と出会い、今まで何も考えずにいた天皇制について、初めて考える機会を持てた。

 そして石川一雄さん、早智子さんの心に響くアピールは、いつも私たちを差別や権力の横暴に対して奮い立たせてくれる。

 こうして振り返ってみると、ここが多くの出会いや気づきの場になっていることに気がつく。

 ほとんど勢いではじめた狭山の取りくみも、あっという間に4年経った。始めた当初から「若い世代」とか「新しい感覚」とか言われて、何とかここまでやってきたが、もうそろそろ真価を問われる時期に来ている。多少の粗さにはご愛嬌で済ませてしまったが、きっと苦言も数多くあったであろう。それでも辛抱強く見守り続け、私の好きなようにやらせていただけたことに感謝の言葉は尽きない。

 狭山第3次再審請求審も無実の新証拠が出され、いよいよ大詰めを迎えている。

 この第3次で勝利すると共に、狭山の闘いの「熱と光」を多くの人に伝えたい、それは希望であり続けると信じている。(了)