近 況

 
 デモ行進の最後まで横断幕を持ちデモの人を
迎えて下った桜井さんと菅家さん

 寺尾差別判決から43年、10月31日の狭山市民集会も過ぎ、11月1日の現調も終った。闘いの日々の一日一日はあっという間に過ぎる。
 10・31集会を振り返るとやはり54年目の狭山闘争に全国各地から来て下さった人たちに感謝の念で一杯だ。高裁前での情宣活動の時、大阪のHさんが「36年間(だったかな?)10・31集会への参加を一回も欠かしたことがない。こんなに長い闘いになるとは思わなかった。一日も早く石川一雄さんの見えない手錠をはずしたい」と話された。「高校生の時に初めて狭山中央集会に参加してから40数年、ただひたすら狭山闘争を中心に据えて闘って来た」と話す大阪のMさんは、お連れ合いさんと息子さん、支部・共闘の人たちと高裁前情宣行動に来て下さった。今は亡き埼玉の令子さんは「狭山が(勝利して)終わらない限り私の青春は終わらない」と話されていた。
 狭山の闘いは、多くの人の人生に深く関わり続けて来たように思う。私自身も狭山に出会い、いつしか「私の狭山」になっていた。狭山に出会い、学び、闘いの中で、私自身も生き方が大きく変わった。「狭山に行く」と言う私の決心に反対した母も、いつしか一番の支援者になってくれた。10.31狭山中央集会に杖をついて来てくれたのは18年くらい前になるだろうか。獄中で母を亡くした一雄が、徳島の義母に何百回、何千回「お母さん、お母さん」と言った事だろう。母が亡くなってもう15年になる。

 少し落ち着きを取り戻したので、礼状等書こうと思ってもなかなか進まない。
10・31集会の時、奈良、福岡の解放子ども会からたくさんのメッセージを頂いた。
11月2日、東京のGさんから手作りのピクルスと署名22筆が届き、お手紙に「10・31集会の色紙を頂きました。連れ合いに見せたら『えん罪を叫び続けるその人の書きたる文字の力強さよという歌を作りました」(一部抜粋)と書かれていた。Gさんから「狭山集会がデイトの場で、石川さんが私たちの仲人だ」と伺った事がある。11月3日、埼玉のAさんからおいしいトマトをいっぱい送って頂いた。闘いの中で温かい心に包まれる。みんな優しい。石川の「来年と心に秘めて再奮起皆の支援で司法を動かす」の歌に奮起する。

     
子ども会から 沢山のメッセージ おいしいトマトと ピクルス )^o^(  

 4日、神奈川の石山春平さんからお電話を頂いた。石山さんも31日、狭山集会からの帰りに転んだそうだ。31日に石川が段差につまずき、転んだ時の傷も少しよくなった。ホームページに転んだことを書いて、多くの人に心配して頂き、申し訳なく思った。石川の体調の事は、以前はあまり書かなかったが、石川が2年前に白内障の手術をしてから、書き始めた。その頃何度も転んだり、階段から落ちたことがあったからだ。6日から始まる大阪全研までには治るといいなぁ~