高裁アピール 2018年4月19日

 高裁前アピール行動が始まって何年になるだろう。
2006年5月23日、第3次再審闘争が始まった。2009年9月から三者協議が始まり、12月には門野裁判長による画期的な証拠開示勧告があった。弁護団の報告を聞き「やっと動いた」と感涙した。2010年5月の3回目の三者協議には検察が47年間も隠し続けていた取り調べの録音テープや、1963年5月23日に石川が書かされた上申書など、36点の証拠が開示された。別件逮捕された当日、石川が書かされた上申書は、間違いなく石川無実の証明だと、「これで動く」との思いを強くした。

 
 国連で「アイアムイノセント」と訴える

 2011年3月11日、石川が死刑判決から47年目のこの日、東日本大震災があり、その後の原発事故。今も多くの人が故郷に帰れずにいるが、国も東電も充分責任も取らず終息を目指している。2013年5月23日別件逮捕から50年、2014年3月11日死刑判決から50年、2014年10月31日、寺尾判決から40年。
 三者協議が始まってから、その前段に高裁前アピール行動を続けて今回で36次になる。当初、三者協議は、1年に2回ほどだったので、アピール行動も7~8回ほどあったが、三者協議が2~3カ月に一度くらいの開催になり、前段のアピール行動も3~4回になった。この間、2008年10月には1回限りのパスポートを取得し、スイスに行き、国連・自由規約委員会委員に石川が直接 「アイアムイノセント」と無実と証拠開示を訴えた。2015年1月には映画「SAYAMA見えない手錠をはずすまで」が第69回毎日映画ドキュメンタリー賞を受賞した。テレビではTBSで2回、テレ朝で狭山の放映がされ、2018年にはNHKで「獄友」の放映もあった。

   

 第3次再審になって、検察は191点の証拠を開示し、弁護団は197点の無実を明らかにする新証拠を提出した。
裁判長は昨年12月に8人目の後藤真理子裁判長にかわった。
 振り返ると、苦しい事ばかりでなく、心躍ることもあった。
一番変わったのは、高裁前での闘いだと思う。当初7~8人の動員で始まったアピール行動。今は常時述べ60人から100人。解放同盟、労働組合、労働組合OB、OG、宗教者、市民の会、住民の会、障がい者解放運動をされている方、「狭山勝手連」と、いつか市民運動の様相になっていた。それぞれの皆さんの手作りのボード、横断幕、「鴨居」 ハッピ、高裁前は何時もにぎやかだ。
19日、加須(埼玉)から初参加されたお二人、曹洞宗のWさん、Iさん、カトリックのWさん、足利事件の菅家利和さん、いつもケーキを作って来てくれるHARYMIちゃん、日の丸君が代裁判を闘っているKさん、神奈川からハンセン病回復者、石山春平さんのお連れ合いの絹子さん、うれしいのは狭山市からいつも来て下さるKさんとSさん、体調を崩されている山梨のTさんの笑顔も励みだ。この日は延べ80人位来て下さった。北海道新聞社の取材も。

   

 東京、山梨、埼玉、群馬、千葉、神奈川、曹洞宗、カトリック、労働組合OB、この日は大空襲被害者連絡協議会のTさんも。活気あふれるアピール行動だった。 滋賀のよっちゃんから「今回アピール行動に行けないから」とおいしい菓子の差し入れ、久しぶりに来て下さったYURIちゃんから署名59筆を頂いた。「狭山事件の再審を実現しよう」管理人のMIKAさんからポレポレ東中野で「仲間と一緒に集めた」と署名105筆。 

   

 家に帰ると石山春平さんからお電話をいただいた「今日は千葉に会があっていけなくてごめんね」と。
なんて素敵な人たちと出会っているのだろう。

狭山の闘いは、今大きく動いている
弁護団は無実を明らかにする科学的な鑑定を出している
裁判所にこれら事実調べをさせることが道を拓く
今が最大の山場だ
皆さんの熱い思い闘いの中で心引き締める