近 況

 2018年5月31日、福岡のKさんからレターパックが届いた。最近介護で忙しい毎日を送られているKさんから「獄友」手ぬぐいで、オリジナルのコップ敷き、花瓶敷き、ひょうたん形の壁掛け等作って送って下さった。介護の合間に一針、一針刺して作って下さったのだ。お手紙に「獄友手ぬぐいを手にしたら、何かの作品を作りたくなりました。今2人の介護で、活動はできていませんが、そこでできる時間にオリジナル手芸をしています」「大切な手ぬぐいをこんな形にしてしまい、本当にごめんなさいね!」「お返事は無用です。お二人ともお身体を大切にされて下さいね」(一部抜粋)と書かれていた。介護の合間の時間に作って下さった素敵な作品、現地事務所に飾っておくことにした。

 2018年5月30日、19時10分から、練馬人権センター総会の記念講演会で、「ハンセン病回復者」として、偏見と差別と闘っている石山春平さん妻の絹子さんの「けっしてあきらめない~ハンセン病を生きて」の講演があることを、解放新聞・東京版で知り、会場の練馬区役所に出かけた。11歳の時にハンセン病と診断され、16歳で療養所に入ったという春平さん「思い出せば苦しい事ばかり。でも苦しい事ばかり言っても仕方がない。前を向いて生きるしかなかった。2001年国家賠償請求訴訟で勝訴したことがきっかけで、積極的に発言するようになった」と話された。絹子さんは春平さんと出会い、春平さんと結婚した。細くて小さい体から、張りのある声で、様々なメッセージを伝えて下さった。春平さん82歳、絹子さんまもなく80歳。春さんは長生きをすることが闘いだという。石川に重なる。

 5月29日、神奈川のシスターMISAIさんからお手紙が届く。5月23日、雨の狭山市民集会に来て下さった。彼女も84歳位。「23日、天気を下さいとお祈りしましたのに、雨・・・・・これも神のみ心と思っておりましたところ、壇上から『この雨は悲しみの涙であり、怒りの雨だと・・・ あっ そうなんだと納得しました。解釈次第でマイナスにもプラスにもなるんですね」また「『一雄さんが24歳の5月23日、取調べでどんなに恐ろしく、悲しく、寂しく、心細かったでしょう・・・』それを伺った時、胸がいっぱいになりました。いつも明るくほほえんでいらっしゃる一雄さんですので、愚かな私で、その心境は計り知りませんでした。病気をしないとその苦痛はわからないと言いますものね。5月23日の集会で大きな収穫を頂きました事を深く感謝しております」「昨日、後藤真理子裁判長に2枚のはがきを出しました。再審開始の願いをしました」 便せん2枚に小さい字でびっしりと書かれていたシスターのお手紙。「獄友」の映画を観に行ったけれど駅を間違えて降り、行けなかったとも・・・・・・10数年前、熊本住民の会の坐り込みの時出会ったシスターと、今またいい出会いをさせて頂いている。

 5月29日、大阪のBinさんからメール。「9月中旬(三者協議)光を見たいね。32通目(後藤裁判長へのハガキ) 」 彼も高校3年の時狭山に出会い、それから50年あまり。実は、「獄友」ポスター、布川事件の杉山卓男さんにどこか似ている? 彼とのメールのやりとりが楽しい。(注 カッコの説明は私がつけました)

 5月28日、青森のIさんからファクスが届いた。朝日新聞文化・文芸欄に鎌田慧さんの「語る」が載っていると。翌29日は鎌田さんの野球少年時代のかわいい写真が載っていた。「語る」―人生の贈りものー シリーズで掲載されている。