石川一雄さんへ

 2018年10月7日、小包が届いた。健康茶や、ハンドクリーム、専門店のそばつゆ、ヘアエッセンス等、細やかな心遣いが伝わる。中に「うた新聞」(短歌総合紙・月刊)10月号 2018年10月10日発行が入っていた。そこに「石川一雄さんへ」という題で短歌5首が掲載(下記)されていた。詠み人は「狭山事件を考える青森県住民の会」(2003年6月27日結成)の一戸伸衣さん。

「暗くてごめんね。3首目は三者協議が9年も続けられてきた、というのでなく、9年闘いが積み重ねられてきた、という気持ちで詠んだ」とのこと。胸に迫ってきた。切なさと、悲しさと、無念と、怒り、優しさがある。そうだ。4年ほど前まで、石川は狭山にいる時は毎日ジョギングを欠かさなかった。裁判に勝つ事とともに「元気に生き抜く」ことも彼の闘いの目標なのだが、目が見えにくくなって、よく転ぶようになり、ジョギングからウォーキングに変わった。白内障は左右手術をし、よくなったようだが、また別の手術をしなければならないようだ。最近は読むこと、書くことに不自由している。2018年2月12日号と2月19日の解放新聞に「青森で狭山を詠い続け」と題して彼女のインタビュー記事が載ってるが、そのなかで「私が詠まなければ誰が詠む。狭山事件が代名詞となるような歌詠みになりたい」とある。曹洞宗金木山雲祥寺は太宰治の生家の近くにあり、幼少期よく行ったそうで、また「地獄絵図」でも有名。2003年から毎年のように「狭山事件」を詠まれている。短歌、詩、音楽、映画という形でも狭山はさまざまに発信され続けている。

石川一雄さんへ 
心には狭山事件が根をおろし出会いより闇に幟あげ生く  
先頭に君いてわれら行くデモは(どちらでもない)人界の果て 
あと一歩 いわれて久し霧ふかし三者協議は九年目を積む
 冤罪が晴れたらケニアを旅したい夢を語れる横顔の老ゆ 
ジョギングを日課としたる日は遠く歳月をしばる視えない手錠 

10月7 日、熊本のSさんから今年も荒尾梨を送って下さった。人の顔ほどもある大きな梨。2人でも一個が食べきれない。おいしい )^o^( ありがとうございました。

 10月5日、石川は午前は保護司との面談、午後から定期健診で病院へ。
 私は「獄友」多摩地区巡回上映ツアーが国立市にあり、「くにたち市民芸術小ホール」へ。獄友上映と李政美さんのミニコンサート、金監督、李さんと石川早智子のトークも。

5066筆の狭山署名を

 10月4日東京・荒川の狭山集会に行く前、全国の皆さんから郵送で頂いた狭山署名「5066筆」を部落解放同盟中央本部に送った。10月31日、日比谷野外音楽堂で開かれる狭山市民集会の前に、高裁、高検へ要請行動に行くが、その時しっかりと想いと闘いの署名を手渡す。