くまもと「狭山事件」を考える住民の会の辛島公園での「狭山坐りこみ」が12月23日200回目を迎えると聞いたのは12月16日だった。
即、「みんなと一緒に坐りたい」との思いになった。ずっと熊本の天気予報を見ていたが雨。

 23日羽田空港はいいお天気だったが、熊本に着くとやはり雨。空港まで迎えに来てくださったAさんと辛島公園に。大きなテントが見えてきた。たくさんののぼり旗、いつもの景色だ。みんなの笑顔がうれしい。テントに着いたのが13時。さっそく住民の会・代表の磯田さんが作られたカレーライスを頂く。Hさんの作られたラッキョウがよく合う。私の好きな卵焼きも。
 雨が降っていたがこの日は暖かい。テントの中はストーブが2個、その上のヤカンはシュンシュンと音を立てていた。

 それぞれの自己紹介や、思いが語られる。この場は狭山差別裁判勝利を目指した闘いの場であり、自分自身を見つめ直す場でもあるように思う。
 1939年1月14日生まれというNさんに驚いた。生年月日が石川と同じ。ずっと熊本での同和教育をけん引されてきたとTさんにうかがった。

 この日は日曜日だったので、Mさんのお子さんたちも来てくださった。Kちゃんからはお手紙と、花もハートもいっぱいついた私たちの似顔絵。お手紙は「いしかわかずおさん からしまこうえんにきてくれてありがとうございます とてもうれしいです またいっしょにおうえんしてください」と。Mちゃんからは「こんどいつか学校のクラスのみんなに石川さんのことを話したいと思います。理由は、つみもないのにつかまった人がいるとみんなに知ってもらいたいからです」書かれていた。応援してもらっているのは私たちなのに。頂いたお手紙は私たちの宝物だ。

   

 住民の会、解放同盟、共闘の皆さんと、熊本日日新聞の記者さんも坐っている。
前回はいつ来たのか忘れたが、2013年2月23日の坐りこみ129回目、2012年6月23日の坐りこみ121回目(坐りこみ10年)、2010年9月23日の100回目の坐りこみは記録がある。それ以前にも坐りこみに来た記憶があるがいつだったか忘れている。
2002年6月23日から始まった坐り込みも16年が過ぎた。

 その間、台風があり、テントが飛ばされそうになり、みんなで手で押さえていたことや、2016年4月の熊本地震ではテントに坐る人たちの中にも被害を受けられたが、休むことなくテントは張られ、そこで炊き出しをされたそうだ。
 朝7時から夜7時までの12時間、いろんな人たちが訪ねてこられる。私自身もそこで多くの出会いを頂いた。シスターミサイさんとの出会いもあった。今彼女は神奈川県に住まわれているが、神奈川で集会があるときまた、狭山市民集会では必ず来て下さる。愛媛県で出会った淳子ちゃんとの熊本での出会いもうれしい。

   


 日帰りで、いつも通りバタバタと過ごしたけれど
充実し、エネルギーをいっぱい頂いた熊本での時間
 石川の歌にあるように再審開始をめざし、新たな年に向けて羽ばたきたい
12月24日朝 Iさんから「熊本日日新聞の3面に狭山の記事が載ってる」との連絡が。!(^^)!