大分の子ども会からの現調と アメリカから取材 2019年8月28日
天気予報の通り、朝から雨
遠くから現調に来てくれる子どもたち、小雨でよかった。
9時半、アメリカの人権団体のホセさん、デビさん、スコットさんと、兵庫県からマナミさんが現地事務所に。
10時から子ども会の皆さんと一緒に現調。
大分県宇佐市では、2000年に「狭山事件を考える宇佐地区住民の会」が結成され、2006年6月24日から第一回目の「狭山座り込み」が始まった。住民の会結成時、また、2015年の20回目の座り込み時は、記念行事として、石川の訴えを聞いていただいた。
皆さんからこれまでの闘いの記録を冊子にしたもの、また、中学生、高校生からの寄せ書きも頂いた。
現調後,中央公民館で交流学習会。子ども会の皆さんが狭山に来てくださることは大きな喜びだ。石川も熱く語っていた。
ホセさん、デビさんは2回目、スコットさんは初めての狭山。「ぜひアメリカに来てください」との言葉に石川も「ぜひ行きたい」と応えていた。
カボスを頂きました |
マナミさんのお父さんは石川と同じ年。
彼女のお父さんは今病床にあり、言葉を発することができない。
マナミさんはいつも「兵庫県で狭山事件が起きていれば、父が石川一雄になっていたかもしれない。だから石川さんの事は私自身の事。私たちが狭山頑張るから、石川さんは頑張らないで。」と話す。
中央公民館で | 「無実てぬぐい」でポーズ |
「石川さんにはおいしいもの食べて、誰に気兼ねすることなく、釣りをしたり、お酒を飲んだり、好きなことだけをしてほしい」とも言う。
彼女の言葉にうなづきながら「でもできない」とつぶやく石川。
私自身も石川と結婚する前は彼女と同じように思っていた。しかし、全国で頑張ってくださっている人たちと出会うと「もっとがんばろう」という想いでいっぱいになる。
8月25日、群馬県の集会から帰り、夜、石川はウォーキングに出かけた。いつもなら3時間以上帰らないのに、1時間も経たない間に帰ってきた。顔を見るとおでこに血が流れていた。転んだのだ。目が見えにくいこともあり、最近はよく転ぶ。
1時間ほど休んだら腕立て伏せを始めた。 "(-""-)"
ウォーキングをしばらく休むかと思っていたら、翌日の8月26日も27日も歩き、その後、腕立て伏せをしている。「10年先、20年先を見据えて体をいじめている」という。私は「いじめる」という言葉が大嫌いだ。「鍛えるの」と聞き直すと「そうだ」という。彼の額には、今も傷跡が大きくある。
28日の現調、29日の高裁前アピールでも皆さんに心配をかけた。「しばらく休んだら」と言っても、彼の頑固さは変わらない。雨の日は転んだりすると危ないので最近は歩かない。また昨日(29日)のアピール行動の日はさすがに疲れたのかウォーキングは休んでいた。
私は6月から健康のためプールに行くと決めていたが、8月は一日も行けなかった。 "(-""-)"
金聖雄監督から「韓国DMZ映画祭」に「獄友」が招待されたとメールがあった。 (*^▽^*) 日本でも多くの人に観て頂きたい。
8月30日保護司との面談日。今日は保護司宅訪問の日。雨なので車で送っていく。