1994年12月21日、石川は、31年7か月ぶりに故郷の土を踏んだ。舗装道路に驚き、携帯電話に驚き、高層ビルに驚いた。同級生が仮出獄をした石川に会いに来てくれても、顔もわからなかったそうだ。当日、記者会見に臨んだ石川に、兄の狭山支部・支部長の石川六造さんが「ネクタイも締めてないのか」、と叱ったそうだが、ネクタイの締め方も忘れていた石川に(もともとネクタイには縁遠い生活だったこともある)今は亡き山上主任弁護士が黙って結んでくれたそうだ。きっと山上弁護士は石川の戸惑いをわかっていたのだろう。何かの映像で、山上弁護士が石川にネクタイを結んでいるところのシーンを見たが、なんとも切ない。
その時詠んだのがこの歌だ。
2年後の12月21日、私たちの結婚記念日。徳島の仲間たちが「結婚を祝う会」をしてくれた。そのころの石川はまだまだ32年間のブランクの中で、闘い方、生き方にも葛藤しながらの日々だったように思う。一貫していたのは、支援者、また文字を教えてくれた人に対しての感謝の気持ちだった。石川は弱音を吐かない。だから私自身、当時、石川が苦しみ、葛藤していることを理解できなかった。最近やっと「あ~当時の石川の思いはこうだったんだな」と思える。
それでも、いつも希望と、自信も持って生きてきた。「自分は無実であり、真実は必ず明らかになる」との一念が消えることはなかった。「冤罪を晴らす」「長生きをする」ことをめざして、「よき日」のために獄中でもジョギング等で体を鍛え生きてきた。この1~2年は、「来春は鑑定人尋問等、事実調べがきっと始まる」との思いで、歯を食いしばって走り続けた。42回目の三者協議は、2020年3月なので、来春との思いは叶わなくなったが、石川の強靭な精神で、また新たな年に向かっていくだろう。
石川は、逮捕される1年半前まで製菓会社で3年半ほど働いていた。素敵な女性と出会った。石川の短かったけれど輝いていた青春の日々だ。彼女の姪・Sさんと出会ってもう何年になるだろう。10年?毎年、12月21日にプレゼントが届く。今年も彼女からすてきなプリザーブドフラワーが届いた。
加須のAさんからおいしいトマトとゆず茶、熊谷さんからは、珍しいチョコレートが届いた。
多くの人の温かい思いと闘いが、56年の石川の闘いを支えている。
気分あらたに一歩前へ。