57年目の5月23日

 
 1963年5月23日早朝に別件逮捕される石川 24歳

 1963年5月23日の早朝、踏み込んできた警察によって石川はジープに乗せられた。車は所沢方面から、藤沢方面と、わざわざ遠回りをして、狭山警察署に連れていかれた。逮捕されたとき母に「すぐ帰るから」と言って別れた。朝の6時半過ぎにはもう取り調べられていたそうだ。あれから57年目の今日、無念の境地を振り返り話してくれた。
それから、1994年12月21日の仮出獄まで31年7か月の年月、狭山に帰ることはなかった。
24歳だった石川青年が出獄したとき、56歳になっていた。


 2020年5月22日は、東京・日比谷野外音楽堂で、不当別件逮捕されて57か年の糾弾集会が予定されていた。新型コロナ感染拡大の影響で、集会は中止になった。政府は、国民に自粛を強いるばかりで、対応が後手後手に回った。東京オリンピックを強行したいがために、感染者の確認を恣意的に怠った(と思う)。延期が決まったとたんにロックダウン(都市封鎖)の言葉が飛び出した。来年オリンピックがなければ、政府はコロナに今ほど真剣に向き合っていただろうか?

 
 昨年2019年5月23日の狭山集会

今、国会中継や、ニュースを多くの人が関心を持ち見ていると思う。そのなかで見えてくるものがある。

狭山中央集会が中止されたのも、権力の自粛要請からではなく、「命」の危機を回避するためであり、狭山の闘いが中止されたのではない。各地でそれぞれができることを模索しながら、闘いは止まることなく続いている。


22日(狭山中央集会の日)、
お手紙等がたくさん届いた。

東京の荒川区民共闘会議からDVDが届いた。
「離れていても心はひとつ。みんなの力で再審の扉を開かせよう!」と労働組合、反原発を闘う人、解放同盟荒川支部、平和憲法を守る荒川の会、野宿者・貧困問題にとりくんでいる団体、介護現場で働く人、地域で共に闘っている人たちからのメッセージだった。最初にシュプレヒコール、そして、狭山差別裁判打ち砕こうが流れ「一雄さん、早智子さんお元気ですか」と呼びかけられた。最後に「こんな状態でも心はひとつ、一雄さん、早智子さんと共にみんなの力で絶対に再審の扉を開けます」、と締めくくられていた。

宮崎の武田佐俊さんは、大崎事件の原口アヤ子さんの支援をされているが、今は新型コロナの影響で面会禁止だそうだ。
「狭山事件は国の犯罪」「血のにじむような弁護団、部落解放同盟、支援団体の闘いが報われない筈がない。何より石川さんの不屈の精神が実を結ばない筈がないと確信しています」「93歳になろうとしているアヤ子さんの日々命を削る闘いと、狭山の闘いを多くの人に知らせたい」「大崎事件と共に再審実現と無罪を勝ち取りたいとの思いが強まるばかりです」とのお手紙を頂いた。

   

22日、熊本の千世さんからいっぱいのトマトが

熊本の今村さんから大きなスイカが届いた。


落ち込みそうな心が奮い立つ
57年前の今日から始まった狭山事件
43回目の三者協議もあと1か月足らずで行われる
石川はメッセージに
「裁判所が鑑定人尋問など事実調べを行い、新証拠をしっかり調べてもらえれば、私の無実はわかるはずです」と書いた
後藤裁判長に正義を示してもらいたい