冤罪・狭山事件―石川一雄さん不当逮捕から57年をむかえて
石川一雄さんが逮捕され、「狭山事件」の冤罪に陥(おとしい)れられて、57年をむかえます。
1963年5月23日に石川さんは不当に逮捕され、それから32年間もの獄中生活を余儀なくされました。その間に両親を亡くし、1994年に仮出獄したあとも「わたしには見えない手錠がまだかかっている」と冤罪を訴え、再審をもとめ続けています。57年前、石川さんに起こったことです。
警察は被差別部落に見込み捜査をおこない、石川一雄さんをねらい撃ちにしました。その背景には、「あんなことをするのは部落にちがいない」という住民の差別意識とそれをあおる報道がありました。証拠がないので、石川さんを別件で逮捕し、警察の留置場で連日、長時間の取調べをおこない、ウソの自白を強要しました。ウソの自白を誘導したあとから、証拠をねつ造しました。
逮捕された日に石川さんが書いた上申書が、10年前に検察庁から証拠開示されました。脅迫状を書いて被害者の家に届けたのは、自分ではないと無実を訴える上申書です。
この上申書を見れば、当時の石川さんが漢字も書けず、作文もできなかったことがよくわかります。石川さんは小学校も満足に行けず、24歳だった当時も読み書きができない非識字者だったのです。これが部落差別の現実でした。
供述調書には、石川さんが「私は字が書けませんから脅迫状を書いていない」とくりかえし訴えていたことが書かれています。そのような石川さんが、脅迫状を書いた犯人であるはずがないのです。しかし、警察、検察は石川さんに脅迫状を書いた、という自白を強要し、筆跡が似ているという鑑識課の鑑定を作り、石川さんを犯人にしたてあげようとしました。逮捕から1か月後に石川さんはウソの自白をさせられ、起訴されてしまったのです。
弁護団が第3次再審請求で提出した福江鑑定は、コンピュータを使って、脅迫状と石川さんの書いた上申書の文字のちがいを客観的に計測して、別人であると鑑定しています。57年前に石川さんが訴えていた真実が、科学的に証明されました。
裁判官は、証拠をちゃんと調べ、当時の石川さんが非識字者であり、犯人ではないことを認めるべきです。狭山事件の冤罪を解決できるのは、裁判官の良心と勇気です。
わたしたちは、狭山事件の再審を求める市民集会を、5月22日に日比谷野外音楽堂で開催する予定でした。しかし、新型コロナウィルスの感染拡大の状況をふまえ、中止せざるをえませんでした。各地においても、石川さんの無実を訴え再審開始を求める、さまざまなイベントが中止を余儀なくされています。
しかし、石川一雄さん、早智子さんは、全国の支援者を心配するとともに、みずからも感染予防、体調管理に注意し、第3次再審で再審開始、第3次再審で無罪判決をかちとるべく決意をあらたにし、頑張っています。弁護団も検察官の意見書に対する反論や新証拠の提出を進めています。
有罪判決はもはや完全に崩れています。東京高裁は、鑑定人尋問をおこない、狭山事件の再審を開始すべきです。そのために、わたしたちは、冤罪犠牲者の仲間とともに、石川さん、袴田さんの再審無罪を求めて、闘いつづけます。
2020年5月23日
狭山事件の再審を求める市民集会実行委員会
事務局長 鎌田 慧