闘いを止めない 各地の闘い  2020年5月26日

57年目の5・23狭山中央集会は中止になったが、各地ではそれぞれの狭山の闘いが続けられている。

 くまもと「狭山事件」を考える住民の会は、5月23日、朝7時からの、217回目の坐りこみの様子を和田さんがメールで写真と一緒に送ってくださった。「コロナ対策を取りながら12時間の坐り込みを貫徹するために、テントの四方を開け、いつもはござに座るのだが、今回は間隔をあけた椅子形式にし、横断幕を上の方に設置し、これが抜群に目立った」「午後からはリレーアピール。初めての青年のアピールは新鮮でした」と書かれていた。

 愛知県の「東三河」の住民の会の山崎さんから「5.23のとりくみが、地元の東海日日新聞に掲載されました。記事もしっかり大きく書かれています。何人かの目には届いたと思います。今後ともやれることを地道にやっていきます」とのメールと東海日日新聞に掲載された大きな記事が添付されていた。

 「狭山事件の再審を求めるJR神戸駅前座りこみ」の写真を送ってくださったのは大阪のHさん。代表の高橋さんからフェイスブック「狭山事件の再審を実現しよう」に寄稿があったのを一部抜粋して紹介させて頂きます。

「3時間という短い時間で、チラシ配布もできませんでしたが、代わる代わるアピールし、歌い、閑散とした人通りの中で、5筆の署名をいただきました。参加してくださった皆様、署名してくださった皆様、アピールを聞いてくださった皆様に心から感謝申しあげます。
ありがとうございました。ソーシャルディスタンスをとるため、集合写真は無し。そのかわりの《差別裁判うち砕こう》の動画です。これからも可能なことをそれぞれの形で続け、繋いでいきましょう。」

 広島の藤本さんから「コロナでギリギリまで会場の確保ができなくて苦労しましたが、何とか5・23福山市民の会の狭山集会ができました」とのメールと共に写真を送ってくださった。

 滋賀県の木村さん、広島県平和運動センター、「狭山事件の再審を求める市民の会三木」の坂本さんから「5・23公開された狭山の動画、当日直ぐ見せて頂きました。自宅にいながらにして全国の仲間と連帯した気持ちで、皆さん一人ひとりのアピールを見ていました。素晴らしい動画ができましたね。私たちも『微力ではあるが、無力ではない』の山本代表の、言葉を胸に活動を続けます」等のメールと拡散しますのお便りが。 

 25日、千葉「狭山事件にとりくむ東葛住民の会」の会員の方からたくさんのメッセージ、お手紙を頂いた。
 大阪のBinさんから後藤裁判長あてに中断していた要請はがきを出すとのメール、506枚目。

 5月23日の狭山中央集会が中止になったことで、たくさんのメールやお手紙を頂いた。東京・墨田の京子さんから「今回、石川さんへの5・23狭山メッセージにとりくみ、そのDVDをたくさんの人、団体におくったら、5・23を前後に多くの仲間から連絡がありました。荒川のOさんから、荒川で作ったさやまDVDを石川さんに届けたとの知らせや、広島の仲間から立ち上げたばかりの福山市民の会で5・23狭山集会に取り組んだこと、「後藤裁判長にはがきを出した」「集会がなく、今年は気が抜けた」等々・・・・・多くの仲間がいろんな場で『狭山再審勝利』を誓っていると思いました。
皆さんから頂いたお便りやメールの一部しか紹介することができないが、皆さんの闘いが狭山闘争を支え、石川を支えている。

 「SAYAMA見えない手錠をはずすまで」等冤罪映画三部作を撮られた金聖雄監督から「コロナの影響で『ひで子と早智子』のテレビの放映が再度延期になり、7月25日ごろになる予定」とのメールも届いた。

 5月25日、東京のGさんから「ピクルスを作りました。現地事務所の塀にかけておきます」とのお電話があった。彼はいつもそうだ。この時期、できるだけ石川との接触を避けたいとの彼の思いが伝わる。急いで現地事務所に駆けつけた。「獄友」の手ぬぐいのマスクを着けていた。自分で作られたそうだ。感激したな~。一緒に来てくださったお連れ合いのRさんは旧姓が石川で「私たちは1974年の寺尾判決の時一緒にデモした。狭山集会がデートの場だった。1977年に結婚したが、狭山集会がデートの場だった。連れ合いの旧姓は石川R子で、一雄さんのお母さんの名前がりいさん。彼女の事をリーちゃんと呼んでいた。縁があるんですよ」とニコニコして話されたGさん。

 福岡のMさんから13筆の狭山署名を送って頂いた。「少なくて申し訳ありません」と書かれていた。署名を頂くこと、封筒に入れ、あて名を書き、切手を貼り、ポストに入れる。一つひとつの作業に思いをはせる。
皆さんの取り組みがあり、今の狭山闘争があるとの思いを強くする。

 熊本のIさんからスイカとメロンが送られてきた。

 山梨のTさんご夫妻から5・23「狭山Tシャツ」を着た写真が送られてきた。素敵な出会いに感謝したい。

狭山の闘いはけっしてとどまってはいない。

 5月23日、栃木県の舩田功さんから、お手紙と歌集が届いた。
「風の音 兇刃に逝く」 舩田凛
舩田功さんのお母さんの凛さんが37歳で倒れられた息子さんへの思いが歌われている。慟哭が聞こえる。


「手をにぎり足をなづるも出来ぬまま ああ子は逝きぬ三十七歳」

「己が主義つらぬき通し倒れたる 子の枕べに涙も出でず」

「吾子よ吾子夢にいでこよ母は今 眠らんとする面影追ひて」


悲しみも、くやしさも、怒りも、喜びも、絶望も、希望も

・・・・・・すべてを包括して・・・・・

前に向く

多くの人の支援を頂きながら・・・・

現地事務所のスダチの実が大きくなった

   
現地事務所で  愛犬ココ