9月に入っても暑さは続いているが、早朝5時過ぎは、しのぎやすくなったので、9月に入ってから愛犬ココの散歩を再開した。
猛暑日が続き、殆ど外に出なかった間に、この暑さにもかかわらず、景色は秋色になっていた。
コロナ禍で、2月から狭山集会・現調、高裁前アピール行動等ほとんどが中止・延期になるなかで、支援者の皆さん方とお会いすることもできず、厳しい闘いの渦中にあって、私たちの気持ちにも焦りがあった。
そのような中で、部落解放同盟中央本部のホームページに「狭山・夏のメッセージ」として、狭山から支援者の皆さんにビデオメッセージで挨拶をさせていただいた。
また7月には金聖雄監督の「雪冤 ひで子と早智子の歳月~再審を求めて~袴田事件・狭山事件」がNHK Eテレ ETV特集で2回放映されたこともあり、全国各地から、感想や激励のメッセージが届いたことは大きな喜びであった。私自身も、7月から9月上旬にかけての70日間に、テレビ放映の案内や、お礼を含めて、350通ほどの手紙や、はがきを出させていただいた。
石川は家の中でもマスクを外さない。愛犬を抱いてテレビを見ている石川(9月11日)
9月10日、大きな荷物が届いた。福岡県添田町からだった。青年部、女性部、高校生、小学生、添田町民の会の皆さん20人からのお手紙と一緒に、「狭山手ぬぐいのマスク」や、フルーツトマト、干シイタケ、オクラ、キャベツ、こんにゃくと共に、「夢つくし」という新米も。全部、添田産の野菜や果物、菓子、コメだった。
添田町からは毎年2回ほど現調に来てくださっている。たぶん私が狭山に来てから一番多く現調に来てくださっている。また、関東周辺に集会があると必ず狭山に寄り、年2回の狭山の全国集会が東京で開かれる時はその前日に狭山に来てくださった。
お手紙には毎年行っている現調に行かれなかったことや、「雪冤 ひで子と早智子の歳月」をみんなで何度も見たこと、感想など書かれ、「また会える日を楽しみにしています」とあった。胸がいっぱいになった。
力が湧いてくるお便りに、なぜか涙がこぼれた.
9月8日午前、保護司との面談
午後石川は歯医者に、私も予約していたが咳がでるのでキャンセルした。小さい時から扁桃腺が弱くてすぐにのどを痛めるのだが、コロナの今、病院にいくのもためらわれる。
奈良の辻本さんからシャインマスカットが送られてきた。8月26日で82歳になられたそうだが、「もう少し元気でいられると思います」のお手紙。石川は81歳、辻本さんもっともっと元気でいてください。
9月1日、宮崎の武田佐俊さんからファクスを頂いた。8月に、大崎事件の取材に来られていた映画監督の周防正行さんとお会いしたとき、「えん罪事件に関心を持ったきっかけは狭山事件」と伺ったそうだ。武田さんは南九州新聞等に「大崎事件」と共に「狭山事件」についての記事を寄稿してくださっている。今回もその記事を送ってくださった。
各地で狭山を様々に闘って下さっている事に感謝!
この間多くの人からお手紙やメール等を頂いた。途切れることなく狭山が闘い続けられていることが希望であり、力だ。
徳島の姉と弟からスダチが送られてきた。
弟の家に一本のスダチの木がある。たわわに実るスダチだが、木はトゲだらけなのだ。手が傷だらけになりながら、一個一個収穫してくれる。例年なら、高裁前アピール行動のある前日に送ってくれるのだが、今年はアピールも中止の中、二人から送られてきたスダチ。
厳しい闘いの中にあって、温かい真心に包まれる。
狭山現地事務所のスダチも今年は沢山生った。
久しぶりに、一人、車で現調をした。半年くらいの間にまた現地は変わっている。
事件発生から57年、気が遠くなるような年月であるが、石川が被害者と出会ったとされている出会い地点から殺害したとされる雑木林までの約500メートルくらいある農道はほとんど変わっていない。
金聖雄監督作成の映画「SAYAMAみえない手錠をはずすまで」で繰り返し出てきたひまわりの花はその場所にはなかったが、20メートル離れたところにひまわりが今年も咲いていた。
9月17日には東京都連女性部が中心になって高裁前で、スタンディングアピールを計画している。
吾躯幹暗夜の獄に埋もれども心は常に荊冠旗の下
獄中の石川の歌だ
今はコロナでなかなか動けないけれど
闘いの中にいつも私たちはいる
9月下旬には 44回目の三者協議だ