9月25日、44回目の三者協議が終わった。裁判長が代わったこともあり、どのような話し合いがなされたのか、新裁判長の印象はどうだったのか。狭山で悶々としていたが、新裁判長とは初めての三者協議ということもあり、顔合わせと打ち合わせのようなものだったようだ。新裁判長は定年まで3年ちょっとあるようだ。石川にとって最後の闘いになるだろう 今度こそ、鑑定人尋問をさせる闘いが重要だ。闘いはこれからだ。

 昨夜(10月1日)福岡のかよ子さんからメールが「さっちゃん 今日は中秋の名月 お月様がきれいだよ」 夜空を見上げた。
まんまるな月だった。

 今日10月2日は、18時30分から、東京荒川で、「今こそ狭山差別裁判の再審を!10,2荒川集会」が開かれる。

私たちはビデオメッセージでの参加ということで、昨日10月1日、本部から2人ビデオメッセージを撮りに来てくださった。
カメラに向かって思いを伝えたが、やはり、皆さんと出会い、皆さんの息遣いが聞こえ、思いが伝わりあうこれまでの集会を思う。各地で、どんなにか集会を開くための努力を重ね続けて来てくださったか。そして今、コロナ禍の中で、それでも闘いを止めないと工夫しながら集会をしてくださる主催者、参加者皆さんの思いが伝わる。

  また、埼玉県の越谷市で「狭山事件の再審を実現しよう! えん罪狭山事件パネル展 57年の訴え」パネル展が開かれている。
「石川一雄さんを支援する東部市民の会」主催で越谷のサンシティホールで10月2日~4日まで。それぞれの場所でそれぞれの闘いが続いている。狭山の闘いはこのように多くの個人や、住民の会、団体、組織で取り組まれている。
一人の思いが闘いに繋がっていく。そしてそれが多くのつながりになっていく。

 
 2019年10月31日の狭山集会

 毎年、東京・日比谷野外音楽堂で10月に開かれている「寺尾判決糾弾集会」の開催が見送りになったという知らせが来た。今年は寺尾判決から46年になる。全国各地で学習会や、地域集会の開催が予定されているそうだ。このことは、苦渋の決断ではあり、リスクを考えると、やむを得ないとはいえ、初めてのことであり、落胆は禁じ得ない。

 9月30日、仙台高裁で東京電力福島第一原発事故で福島県の住民が東電に損害賠償を求めた判決が出された。国と東電の責任を厳しく問う判決だった。原告代表の深谷弁護士は、昨年5月に高裁の裁判官が被災地を視察した事をあげ、「裁判官が実際に避難生活の実態を見て原告の話を聞いたことが効果があった」と話したとの記事に「司法はまだ生きている。このような裁判官もいる」との思いを強くした。
狭山も「鴨居」の万年筆が裁判所でさまざまに判断されている。また、3次再審になって無実を明らかにする多くの科学的な鑑定も出されている。裁判官はこれらを調べてほしい。鑑定人尋問をしてほしい。再審制度の原点に立ち返り、もう一度調べなおす「裁判をやり直す」ことをしてほしい、と強く思う。

 9月17日、東京高裁前スタンディング行動に参加した人からメールを頂いた。「~9月17日のアピール行動に参加して、みんなとても元気になりました。人はやっぱり人に接することで元気をもらえます。今回のコロナ禍でいやというほど思い知らされました。~ 石川さんに出会うことで差別から逃げていた多くの方たちが、早智子さんのように、氷がスーッと溶けるように心が軽くなり、差別を無くすためにも闘う人間に変われたのだと思います。私自身も自らが解放されることの喜びを知ることができました。狭山は石川さんだけの闘いではなく、差別からの解放を願う多くの人たちの闘いだからこそ、こんなにも長い闘いを続けて来られたのだと思います。ずいぶん寒くなりました。くれぐれも風邪などひかないようにしてください」(一部抜粋)
このようなメールを頂く度に、石川の長い闘い、苦しみが、それだけではなく、よろこびや、希望、力ももたらしたかもしれない、私が力をもらったように・・・・と思う。

 10月4日は、私の故郷徳島の藍住町で「獄友」の上映会がある。金監督が挨拶をされるそうだ。故郷の人たちの頑張りがうれしい。

 9月28日、近くの奥富運動公園に行った。先日は曼殊沙華の花が8分咲きだったが今回は満開で、何人かの人が撮影に来ていた。

真っ赤にすっくと立つ曼殊沙華の花。

最近パソコンの調子が悪いうえ、9月19日から10日余り、蕁麻疹に悩まされていたが、しばし忘れた。

   


 9月26日、狭山市の光子さんから送って頂いた短歌です。

彼岸花一本だけで美しい おのが力を蓄え開く
 (9/15 荒川土堤の彼岸花)

裁判官虫も殺さぬふりをしつ 石川一人虫のごと踏む
(9/21 夜の散歩中、虫の音を聞きつつ石川さんのことを思い出して)