2020年11月28日、8時30分大阪のBinさんから「今日の朝日新聞の別刷りに、穂村弘さんという歌人の紹介があります。一雄さんもこのような気持ちで創れる日が訪れますように・・・・・」とあった。タイトルは「短歌は生きるための武器になる」とあった。不思議な気持ちになった。この2~3日、石川と短歌の話をしていた。「獄中(東京拘置所)では、例えば独房に、どういうものがあるかとか、どのような生活を送っているかというようなことは手紙に書いてはいけない、また面会では、尋ねられたら答えてもいいが、自分から話してはいけない」という事になっていたそうで、短歌なら、書いても注意されなかったという。
石川が文字を少しずつ取り戻していったころ、死刑囚の中に、短歌の先生がいたそうで、その人が「手紙で無実を訴えるには、長い文章を書かなくてはならないが、短歌だと、31文字の短い言葉で訴えることができる。」と話され、2~3年、歌の創り方を教えてもらったそうだ。1965年頃から歌を詠んでいるが、上記歌も1965年10月ごろに詠んだ歌だ。
東京拘置所は、当初、面会室には鉄格子があり、そのうえ3重くらいに網戸が張られていた。その網戸はマッチ棒くらいの、隙間があいていたそうだ。
「わが胸に焦燥秘めて笑み会えば金網越しに老いし母泣く」この歌を創ってしばらくして、面会室の仕切りが、金網からアクリル板に変わったそうだ。また上記「色褪せし青き蒲団」の歌を創り、メッセージの中に詠んだ時も、発表から2~3か月後に青い布団から縞模様の蒲団に変わった。偶然かもしれないが、そのようなことが脳裏に浮かんできたという。
1965年頃から70年ごろまでは多くの歌を詠んだそうだ。
「何事も掌(て)につかぬまま冤罪に暗澹(あんたん)として嘆きの日々を」
怒り、悔しさ、悲しみ、切なさが胸に迫ってくる。
2020年12月14日 東京高裁前でスタンディング 部落解放同盟 東京都連女性部
2020年11月28日、27日、墨田の京子さんから手紙と荷物が届く。9月17日東京高裁前でスタンディングの時DVDや、識字教室や、都連女性部で作った皮革製品のティッシュケース、財布、そして私たちのソックス、高裁に出すハガキ、「はつもので長寿を願う『縁起のり』」等々・・・・彼女からは毎月温かいお手紙を頂く。
12月14日、12時から12時50分まで、再び、東京都連女性部が中心となって、大野裁判長に、事実調べ、鑑定人尋問を求めて、高裁前スタンディング行動を行うという。
最終局面にある狭山第3次再審闘争にとって、大きな力を頂くし、大野裁判長はこの声をしっかりと聞いて頂きたい。
部落解放墨田区民共闘会議が作られた要請はがき | 縁起のりや、手作りの皮革の品々 |
11月26日、岩手県のW・裕子さんから署名35筆が届いた。彼女とは真宗大谷派仙台教務所の狭山学習会で、毎年1回お会いしているが、今年はお会いすることがかなわなかった。「岩手の遠野では11月中旬ごろに一度だけ朝、雪がふりました。~いつもなら県外の方々にも署名を頂けていましたが、今年はコロナウイルスにより、それもかないませんでした。~活動も大変だったと思いますが、これからも伝え続けてほしいです。一日も早い再審開始を願って…人に光あれ・・・・(一部抜粋)と書かれていた。
遠くからも近くからも多くの人が狭山の闘いの支援を続けてくださっている。
こんなに素敵な人たちがいる。
11月27日、石川はインフルエンザ予防接種を、私は高血圧の定期検診。
11月23日は義父石川富造さんの36回目の命日。石川の健康と一日も早い再審開始を祈りながら手を合した。
今年も狭山現地事務所の甘夏がたわわに実った。
今大きく取り上げられている元総理の「桜を見る会」.。同じ穴のムジナの現総理も再調査をする気はない。
うそにうそを重ねたモリカケ問題等も未だ真相は隠されたまま。
時間が過ぎ、私たちが忘れるのを待っているのだろう。政権に近いといわれる黒川検事長の定年延長を目論み、検察トップの検事総長につかせようとごり押ししようとしたのも、自分たちを守るための布石だったのだ。
これらのことを決して許してはならない
諦めてはならない
忘れてはならない
声を上げ続ける