2020年12月21日は、第3次再審闘争になって45回目の三者協議だった。2006年5月、東京高裁に第3次再審請求をして14年が過ぎた。この間、いろいろなことがあった。
2008年、石川は初めてパスポートを取り、ジュネーブ(スイス)にある国連に行き、自由権規約委員会委員に、無実を訴え、検察の証拠隠し等、日本の司法の不正義、不備も訴えてきた。一回限りのパスポートだったので、スイスから帰ると、パスポートはすぐに返還した。
第3次再審になって一番大きな出来事は、三者協議が始まったことだろう。2009年、第2回三者協議の時、当時の門野裁判長が、検察に対して、8項目にわたる証拠開示勧告を出した。内容は画期的で、これらが開示されれば石川無実は明らかになるとの思いを強くした。2010年、検察は5項目36点の証拠を開示、その中には、1963年5月23日、石川が逮捕された当日に書かされた上申書や、取り調べの録音テープが含まれていた。まさに47年も隠され続けていた無実を明らかにする証拠であった。石川も、私も、「これできっと動く。冤罪が晴れる」と確信した。素人がみても脅迫状の字と、石川が書いた上申書の字は、似ても似つかないし、録音テープには「殺害方法がわからないので教えてください」との石川の録音があった。「自白」したものの、取り調べをうけても、殺害していないので殺害方法がわからなくて答えられない石川の言葉が刻まれていたのだ。開示勧告から11年、検察は開示勧告された8項目の一部については、未だ、必要ない、関係ない、見当たらないと開示を拒否している。必要か必要でないかは、検察が判断するのでなく、石川本人や、弁護団がすべきだろう。再審裁判は長引き、当事者は年老いる。そして冤罪は無くならない。
2016年からは狭山闘争にとって2回目の大きな進展があった。万年筆は偽物との科学的な鑑定を出した下山鑑定、脅迫状の筆跡は石川の書いたものではないとする科学的な鑑定を出した福江鑑定だ。
弁護団、支援者等の長い闘いの中で、検察が証拠開示に応じざるを得ない状況を作ってきた。開示された証拠から弁護団は241点の新証拠を裁判所に提出してきた。
2020年は思いがけない新型コロナ感染拡大の中で、狭山中央集会や、現調等、多くの狭山の闘いは中止を余儀なくされたが、それでも全国の支援者は創意工夫した取り組みを続けてきた。「闘いを止めない」との思いは、高裁前での狭山スタンディング行動や、マイクなしでの情宣行動、ソーシャルディスタンスを取りながらの学習会等々・・・・・
今日は12月23日、多分全国各地で23デーの行動がされているだろう。福岡からは、「今日は、160回目の座り込み」とのメールや熊本からも、「224回目の坐りこみ」のメールが届いた。
2021年には弁護団は鑑定人尋問の請求をする。
何としても鑑定人尋問の実現をさせることが道を拓く。支援者や、弁護団、石川、多くの人の闘いと思いが2021年には叶う年になるよう、さらなる皆さんのご支援を心からお願いしたい。
12月17日、「狭山事件にとりくむ東葛住民の会」から署名60筆が届く。2021年1月31日、13時30分~16時まで松戸市民会館で狭山学習会が開かれる。狭山事件再審弁護団の指宿昭一弁護士が講師として出席される。十何年、私たちも参加し、支援のお願いをし続けてきた松戸の集会だ。
12月18日、埼玉のAさんから120筆の署名と、手作りのゆず茶、サーターアンダギー、あげ餅が届いた。お手紙には「~埼玉県共闘の金子彰さんも署名を集められていて、その署名用紙を預かってきました。地元の仲間の協力もあり、たくさんの署名が集まりました。~元気なお二人に会える日を楽しみにしながら、一日一日を大切に過ごします(一部抜粋)」と書かれていた。
岩手県の和田さん(真宗大谷派・仙台教務所)から署名5筆が届いた。11月26日にも35筆送って頂いたばかりだ。2019年3月7日、福島県で開かれた「狭山事件に学ぶ」共学研修会でお会いして以降、2020年には毎年開かれていた研修会がコロナ禍で中止となり、お会いできていない。お手紙には「12月下旬に開かれる三者協議を前に、取り急ぎ5筆ではありますが、お送りいたします(一部抜粋)」と書かれていた。彼女のやさしさが届く。
18日、東京の京子さんからお手紙や、タオル等送って頂いた。毎月お手紙を頂く。多分一年で一番多くお手紙を下さっている。
19日、愛知県の石井さん(臨済宗)から今年もたくさんの切手を送って頂いた。コロナ禍になって私は毎日手紙を書いているので素敵な切手がうれしい。
20日、熊本の千世さんから宝石箱のようないろいろなトマトを頂いた。
21日は45回目の三者協議であるとともに、石川が仮出獄した日(1994年12月21日)であり、私たちの結婚記念日(1996年12月21日)でもある。三者協議の進み具合はどうなんだろう、進展はあったのか、と狭山でやきもきしていた時、素敵な胡蝶蘭が届いた。石川が4年足らずだが、とても幸せだった時代がある。19歳から22歳くらいで青春真っただ中のころ、T製菓会社で働いていた。その時、Eさんと出会い、お付き合をしていたそうだが、Eさんの姪であるせっちゃんからの胡蝶蘭だ。石川にとってせっちゃんは初恋のほろ苦さを思い出すと共に、暖かい光のような存在だと思う。
今彼女は闘病中だ。石川がとても心を痛めている。一日も早く元気になられますように・・・・・・
このところ、殆ど外に出ないので、愛犬ココが大きな癒しになっている。
いつも私にひっついて離れない。朝の散歩は最近寒いので少しおっくうに感じるが、何とか続けている。
家族になって2年が過ぎた。
上記歌は文字を知らなかった石川が、獄中で文字を取り戻す過程の中で、自分が陥った権力の罠の深さ、残酷さを思い知り、絶望と怒りの中で、それでも真実を明らかにするために、苦難を克服し、闘い続けた思いを歌ったようです。苦難だけでなく、多くの事を学ぶ中で心が豊かになった、多くの人の善意を知ったという喜びもあったそうです。(戇愚(とうぐ)とは愚かという意味だそうです)