2020年も残すところ後1日となった。
毎日コロナ、コロナで明け暮れた1年だった。狭山の闘いも大きく様変わりせざるを得なかった。
それでも闘いは止まることなく続けられてきた。

 東京オリンピックは延期されたが、オリンピックの費用はかさむばかりだ。これだけの予算を、苦闘している医療現場や、医療従事者に回したり、GoToの予算を有意義に他に使うとか、できないのかと思う。国会でうそをつき続けたアベさん。まさかこれで幕引きではないでしょうね。
暗い話題ばかりの中で、12月23日、最高裁が袴田事件の審理を東京高裁に差し戻した。再審開始決定でないのが残念だが、ひとまずほっとした。再審裁判が長期化するのは、刑事訴訟法に証拠開示手続きの規定がないこと、検察に抗告権があること等がある。この法改正がない限り、再審裁判は限りなく長い年月がかかるだろう。再審を請求する人は、年を重ねる。費用もかかる。しかし、検察や裁判所は税金を使うので自分の腹は痛まない上、年月がかかっても、担当する人が代わったらいいだけだ。
何としても証拠開示をさせる。検察による抗告権を認めない、という法改正が必要だ。再審開始決定が出るということは、即、無罪でなく、これまでの判断が間違っている可能性があるということで、それをもう一度調べなおすということなのだ。再審制度はそのためにある。なのにあまりにもハードルが高すぎる。

 滋賀のヨッチャンからお手紙と狭山署名18筆が届いた。12月、草津駅西口で「狭山再審を求める市民の会・しが」の皆さんが毎月の狭山情宣デーで頂いた署名だ。いつものリーフレットに加えて「市民の集いin関西」のチラシも配布されたそうだ。「野洲の近江平安教会からも5人がこの行動に参加され、12月の情宣行動は11人でした。近江平安教会からは2回目の狭山情宣行動でした。」と書かれていた。何度か近江平安教会にも狭山の訴えに行かせて頂いた。また狭山中央集会にも必ず参加してくださった教会の皆さんの顔を思い浮かべた。狭山はさまざまに多くの方たちの力で支えられている。

 東京のサキちゃん、ダイちゃんからクリスマスカードが届いた。メッセージカードには「体に気をつけてください」としっかりとした字で書かれていた。大きくなったんだなぁ~と感慨にふける。SHIHOちゃんが私たちの子どもならこの二人は私たちの孫だ。

 東京の熊谷さんから今年もチョコレートを送って頂いた。「お返事はいりません。お元気で。2021年にはお会いしたいです」とのメッセージを添えて。

 兵庫のMIYAKOさんから「公正な証拠開示の法制化を求めます」という署名、55筆が届いた。私たちが望んでいる法改正を求める署名だ。MIYAKOさんありがとう。

 12月27日、東京のKYOKOさんから、広島・福山で「福山市民の会」結成にご尽力くださったFさんの訃報のメールが届いた。「重い病気の中で、狭山の闘いを再活性化させたい」と、強い思いを持って、闘い続けたというFさん。
「葬儀の帰り、福山駅で義兄の遺影を飾って狭山情宣を取り組む仲間と出会うことができました。胸がいっぱいになりました」と書かれていた。私たちにも、Fさんからたくさんのメールを頂きました。その多くが、狭山デーの報告でした。熱い思いがこもったメールでした。
Fさん、ありがとうございました。Fさんの思いと闘いを胸にこれからも闘い抜きます。

 「狭山事件にとりくむ東葛住民の会」から狭山署名40筆が届いた。12月17日に60筆を送って頂いたばかりだ。
代表をされているKさんのお手紙に「~先日お送りした署名の50筆、また今回は36筆の署名を集めてくださった千葉にお住いのIさん。2回の合計で85筆になります。ただただ頭が下がりますが、頭を下げているだけでなく、それを見習わなくてはならないと思っております。各支援団体がコロナ禍におきましてもさまざまに工夫をして活動されていますので、東葛住民の会もそれに遅れないようにしたいと考えております。
 今年の冬は、コロナとインフルエンザと厳しい寒さのトリプルパンチになりそうです。体調に留意して健やかに新年を迎えられますことを心より願っております。~(一部抜粋)」と書かれていた。Kさんの静かで真摯な生き方がにじみでるようなお手紙だった。住民の会の皆さん、たくさんの署名をお送りくださったIさん。ありがとうございました。

 年末、私たちは徳島に来た。夏に帰省したのに続き、悩みながらの行動となった。
3日ほど一歩も外に出ず家に籠っている。その間、石川は何年ぶりかでギターの練習をしている。狭山では騒音を気にして練習できないのだ。

私の故郷、徳島は穏やかな天候が続いている。
今日12月30日には虹を見た。
虹をみるのは何年ぶりだろう。

石川はいつも「真実はきっと明らかになる」と話し、確信している。
2021年を勝利の年に。

上記歌は獄中歌です。
「身体は獄にがんじがらめに縛られていても、心までは縛られていない。荊冠旗が林立する闘いの中に私は共にある」という意味だそうです。今コロナ禍で、体は思うように動くことはできないが、心は皆さんと共に、闘いの中にあります。