新年メッセージ
昨年は2月21日の東京狭山集会を皮切りに今日まで狭山に関する集会、現地調査等が延期・中止、また私自身の不参加という結果となり、各関係者の皆様に大変なご迷惑をおかけする一年となってしまいました。
新型コロナの出現によって生活が大きく一変させられましたが、私自身は、狭山事件に巻き込まれ、32年間の拘禁生活の中で、自由を奪われ、独房生活を余儀なくされていたので、外に出られないことに対しては,苦になりませんでしたが、狭山第3次再審闘争は、緊迫した状況下にあってみれば、各地に訴えに行くこともできず、やきもきし、焦る気持ちに駆られたこともありましたが、全国の皆さんからメッセージをいただき、直接会えなくてもつながりを実感して、私自身は今は元気で生きることが闘いだと思っています。
私自身、10か月ほど家に籠もる中で、これまでの事が、走馬灯の様に駆け巡りましたが、真っ先に思い出したのは、冤罪を晴らすために、文字と格闘した日々のことでした。浦和拘置所で文字を教えてくれた担当看守さん、本格的に、「冤罪を晴らす」という目的を持って文字を学ぶことを助けてくれた東京拘置所の看守さんたち、全国の部落の子どもたちから送られてきた「石川にいちゃんへ」というたくさんの手紙に励まされたこと。文字を取得するのに10年以上も要しましたが、文字を通して多くの事を学ぶことができたし、私自身の立場も理解できたことを鮮明に思い出す10か月でした。
このことは、裏を返せば、逮捕当時の私が、まったくと言っていいほど、文字と無縁であったことでもあります。読み書きができないことで悔しい思いをしたことや、57年前、警察は、私が犯人との証拠がないので別件逮捕し、マスコミの差別報道や、市民の差別意識も利用しながら、結果的に私を犯人にしたてあげていったことを、文字を取り戻す過程の中で、理解していき、悔しさと怒りでどれほど涙を流したかしれません。
しかし、今は思い出よりも再審裁判に重点を置いて取り組むことが最重要であるとの思いでいます。年末には最高裁が、イワちゃん(袴田巌さん)の再審に道を開く、差戻決定を出すという本当に嬉しいニュースがあり、今度こそ私の番だという決意をあらたにしたところです。
昨年には、弁護団が検察官の誤りを明らかにし、寺尾判決を覆す科学的な新証拠をつぎつぎと東京高裁に提出し、いよいよ今年は、鑑定人尋問を求めていくとのよしであります。
いずれにせよ、私はあせっておらず、コロナが終息したら、活動が再開できるよう、毎日体を鍛えております。
2021年は、何としても鑑定人尋問、事実調べを勝ち取る年になりますよう、最大限のお力をお貸しくださいますよう、心から念じつつ、私は不撓不屈の精神で第3次再審実現を目指して闘い抜くことを皆さんに誓い、年頭の決意といたします。皆さんもお体大切にお過ごしください。
腰を据え闘い続けて第三次 証拠は揃い勝負の年へ